Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

祈り ヘブライ人への手紙11章17~31節

祈り ヘブライ人への手紙11章17~31節(新共同訳 新約pp.415-416)

 信仰の先人達が持っていた偉大で真実な信仰を見ながら、そうなれない自分が小さく感じられる時もありますが、御言葉によって強めて下さり、勝利の人生を生きられるよう助けて下さい。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章30~31節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章30~31節(新共同訳 新約p.416)
「御言葉を掴む勝利の信仰」

 御言葉を掴めば必ず勝利する。ヨシュアのリーダーシップはモーセに比べれば遥かに弱かったようだが、彼は信仰によって従い、「エリコの城壁」を崩し、カナンの地を征服した。「ラハブ」は「娼婦」であったが、イスラエルの偵察隊を「迎え入れ」、エリコで唯一生き残り、イエスの祖先となる祝福を得た。信仰には驚くべき力がある。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章23~29節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章23~29節(新共同訳 新約p.416)
「使命を果たす偉大な信仰」

 信仰は常識や論理に制限されない。モーセはエジプトの全ての「財宝」や権力、華やかな生活を断固として「拒んで」、「神の民と共に」苦難の道を歩むことを選択した。神の約束を信じたため、エジプトを離れて「紅海を渡」ることが出来、40年間荒れ野でマナを食べ、イスラエルの民を導くことが出来た。この世の栄光を捨てて神に頼る時、使命を全うすることが出来る。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章17~22節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章17~22節(新共同訳 新約p.415)
「契約を成就する真実な信仰」

 信仰の先人達は神の「約束」を信頼した。アブラハムは100歳になって生まれた「独り子」イサクをいけにえとして献げよという、到底従えないような命令にも、神の「約束」を信じて従った。「イサク」は長男「エサウ」の代わりに「ヤコブ」を契約の継承者として認め、「ヤコブ」は私心を捨てて神の御心に従い、12人の子を「祝福」した。エジプトの宰相となった「ヨセフ」は、「臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り」、イスラエルの子孫がエジプトを去る時には「自分の遺骨」を持って行くよう遺言を残した。契約の中で、契約と共に、契約のために生きる時、神の御国を相続することが出来る。

祈り ヘブライ人への手紙11章8~16節

祈り ヘブライ人への手紙11章8~16節(新共同訳 新約p.415)

 行きづまった時こそ、神が最も強く働かれる時だと信じます。心と人生を献げる真の礼拝が回復し、それを通してこの世ではなく神に視線を向けることが出来ますように。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章13~16節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章13~16節(新共同訳 新約p.415)
「更にまさった故郷を熱望する」

「信仰を抱」く人は、この世ではなく永遠の御国に望みを抱く。世の財産や成功に執着するのではなく、御国の喜びと栄光に目を向けるなら、あらゆる誘惑を退け、聖なる望みを実現することが出来る。イサク、ヤコブアブラハムのような族長達はカナンの地で暮らしたが、絶えず「天の故郷を熱望して」進んだ。足は地につけていたが、目はいつも天に向いていた。地上の富や栄華に執着せず、帰るべき「更にまさった故郷」を見上げた。世に心を奪われるより神に集中する時、神の御国の相続者となることが出来る。世の中にいながらも世と区別される時、聖徒としてのアイデンティティを守ることが出来る。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章8~12節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章8~12節(新共同訳 新約p.415)
「約束に従ったアブラハム

 信仰は、状況や現実を越えて、神との約束の御言葉を握らせる。状況がどれほど暗鬱で絶望的であったとしても、信仰を持った人は神の御声に耳を傾け、全面的に従うことを選ぶ。信仰の父「アブラハム」は、75歳の時に、住み慣れた故郷を離れて、神が示す見知らぬ地カナンに移住した。異邦人としてカナンの地を所有することは出来なかったが、神の「約束」を信じ、その地に「幕屋」を張って「住」んだ。また、アブラハムと妻「サラ」は、「年齢が盛りを過ぎて」子供を生むことが出来なかったにもかかわらず、子を与えるという神の約束を最後まで信じ、「子をもうける力」を授かった。信仰は驚くべき御業を引き起こす。今の状況にではなく、未来の約束に目を注ぐなら、不可能は可能に変わる。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章4~7節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章4~7節(新共同訳 新約pp.414-415)
「信仰によって神に喜ばれる」

「神に喜ばれる」ためには、人間的な方法よりも「信仰」が先行しなければならない。「神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であること」を堅く「信じて」進む時、神の祝福と称賛を受けることが出来る。これは信仰の対象が重要だということである。アベルは「信仰によって」「カインより優れたいけにえを神に献げ」たと認められ、「正しい者であると証明され」た。エノクは「信仰によって」神と日々共に歩んだので「死を経験しないように、天に移され」た。ノアは「信仰によって」日が照りつける山の上で巨大な「箱舟を造」ったので、「義を受け継ぐ者となり」、新しい人類の祖先となった。神にいけにえを献げるのであれ、日常生活をするのであれ、舟を造るのであれ、どんなことであれ「信仰によって」行う時にだけ意味があり、神の栄光となる。何をするかより神に対する信仰を優先すべきである。

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章1~3節

聖書黙想 ヘブライ人への手紙11章1~3節(新共同訳 新約p.414)
「信仰とは」

 信仰は抽象的な概念や主観的な信念ではなく、神が約束して下さった「事柄を確信し、見えない事実を確認すること」である。人は「目に見えているもの」だけを信じようとする傾向があり、手で掴むことが出来なければ特に関心を払おうとしない。しかし、信仰は「望んでいる事柄」を現実に感じさせ、見えないものを見させる。信仰を持った人々は「この世界が神の言葉によって創造され」たことを見なくても知っている。見て信じるのではなく、信じれば見える。信仰は神の約束がまだ成就していない状況でも、既に成就したものとして見させる。聖徒は信仰によって神の御心の成就と勝利を既に掴んで生きていきる。ビジョンは想像ではなく信仰の結果である。

祈り ヘブライ人への手紙10章26~39節

祈り ヘブライ人への手紙10章26~39節(新共同訳 新約pp.413-414)

 苦難を終わらせて下さるのは神であると信じます。信仰が弱まる時、これまで生きてこられたのは主の大きな恵みによると告白出来ますように。今日も失敗されることのない神を信頼して歩むことが出来ますように。