Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 マルコによる福音書9章30~32節

聖書研究 マルコによる福音書9章30~32節(新共同訳 新約p.79)

【概要】

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
再び自分の死と復活を予告する

 イエス・キリストは以前にもご自分の死と復活について予告された(8章31節)。しかし、弟子達が理解出来なかったので、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」(31節)と再度語られた。霊的な目が曇った弟子達にイエス・キリストがご自分の苦難と復活について教えるためには反復と忍耐が必要であった。
 それでも、弟子達は依然として「この言葉が分からなかった」(32節)。以前ペトロが行ったように、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(マタイによる福音書16章22節)とイエス・キリストを諫める者はなく、言葉の意味を尋ねる者もいなかった。しかし、これは彼らの理解が深まったからではない。以前イエス・キリストがペトロを「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(8章33節)と叱られたのを見たので、「怖くて尋ねられなかった」(32節)のである。
 イエス・キリストの言葉を聞いても、弟子達は悟らず、変わらなかった。自分達の願望と価値観と固定観念イエス・キリストを見、その言葉を聞いたからである。彼らは、自分の聞きたいことだけを聞き、信じたいことだけを信じようとした。これはイエス・キリストの弟子として正しい態度ではなかった。

【適用】
 主の言葉が理解出来なかったり、受け入れられない時、どうすることがイエス・キリストの弟子として正しい態度だろうか。

【祈り】