Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 詩篇131篇1~3節

聖書黙想 詩篇131篇1~3節(新改訳 旧約p.955)
「平安をくださる神」

 高慢な人は、心と目が高ぶり、他人と比べて競い、自分をすぐれた者に見せようと、偉大なことを企てます。そのため、その人は不安、心配、焦燥、ストレスなどに苦しめられます。しかし、へりくだった人は、自分の位置を知って自ら満足し、手に負えないことをしないため、心に平安があります。ちょうど子どもが乳離れした後はもう乳を求めてむずからず、母の胸に静かに抱かれているだけで満足するように、へりくだった人の心はいつも静かで平安です。神にあって満足と平安を得た詩人は、永遠に神を待つようにイスラエルに勧め、彼らも神に従ってへりくだって歩み、満足と平安を味わうことを期待します。神を待って、へりくだって歩むことは、まことの満足と平安を味わう秘訣です。

聖書黙想 詩篇130篇1~8節

聖書黙想 詩篇130篇1~8節(新改訳 旧約pp.954-955)
「赦される神」

 罪を犯したときには、心から神に告白し、神のいつくしみとあわれみを待ってください。神は選ばれた民が罪を遠ざけ、区別された生活をすることを願っておられます。神の子となっても、私たちは罪の性質と弱さによって、しばしば罪を犯します。罪人として聖なる神の前に立つ者はだれもいません。どのような罪でも、すべて神の前に一つ一つ明らかにされるため、罪を犯したときは、まず神に告白して罪の赦しの恵みを切に求めてください。罪を赦す権限は神だけにあることを覚え、城を守る夜回りが朝が来るのを待つのと同じ気持ちで神の赦しを慕い求めてください。そうすれば、神が豊かないつくしみと贖いの恵みによって私たちの罪を赦し、私たちを聖なる姿に回復させてくださいます。

祈り 詩篇128篇1節~129篇8節

祈り 詩篇128篇1節~129篇8節(新改訳 旧約pp.953-954)

 成熟した神の子どもになりたいと願います。神の御心を少しでも理解し、私が言いたいことよりも、神が語られるみことばに耳を傾ける一日となりますように。

聖書黙想 詩篇129篇1~8節

聖書黙想 詩篇129篇1~8節(新改訳 旧約p.954)
「シオンを憎む者が受ける恥」

 ここでいう悪者がだれなのか、正確に知ることはできませんが、歴史の中でイスラエルをたびたび苦しめた人々です。彼らはまるで農夫が畑を耕して長いあぜを作るように、イスラエルに苦しみと恥を与えました。彼らは、単にイスラエルを憎むのではなく、シオンを憎んで、神の臨在と正しい統治、約束と祝福を無視する人々です。神は正しい方なので、彼らを放っておかれず、彼らがつないだ綱を断ち切ってイスラエルを救い出されました。このように、時が満ちると悪者ははずかしめられて自ら退きます。彼らは、屋根に薄く敷かれた土から育った草のように、育ちきる前に枯れてしまい、仮に育ったとしても収穫する価値がなく、ほかの人々から神の御名で祝福する祈りを聞くこともできません。

聖書黙想 詩篇128篇1~6節

聖書黙想 詩篇128篇1~6節(新改訳 旧約pp.953-954)
「神を恐れ敬う者が受ける祝福」

 神は、神を恐れ敬い、神の道を歩む者を祝福してくださいます。神を恐れ敬う人とは、神を知り、神と親密な関係を維持し、悪を憎み、悪から離れる人です。また、神を恐れ敬うとは、ただ単に抽象的な恐れを意味するのではありません。神との親密な関係を維持する中で、神が願われる善を行い、悪から離れるという、じつに積極的で具体的な行いです。神を恐れ敬うことは、知恵と知識の初めです。また、神を恐れ敬う人は、その家庭も大いに祝福されます。労苦したとおりに糧を食べ、妻と子どもたちが神に守られ、一生繁栄と平安を味わい、子どもの子どもを見ることができる長寿の祝福をも得ます。神を恐れ敬い、神の道を歩む者はだれでも、祝福にあふれた人生を歩みます。

祈り 詩篇127篇1~5節

祈り 詩篇127篇1~5節(新改訳 旧約p.953)

 好きなものに執着する時があることを告白します。どんなことも、まず神に尋ね、それを神が喜ばれるかどうかが、すべての決定の根拠となるように助けてください。

聖書黙想 詩篇127篇3~5節

聖書黙想 詩篇127篇3~5節(新改訳 旧約p.953)
「神の賜物」

 困難に遭ったとき、子どもたちに助けてもらえる親は幸せです。子どもは、神がくださった尊い賜物です。神は、子ども以外にも健康、知恵、才能、財産などを贈り物としてくださいます。だからといって、子どもがいないこと、肉体的な病、才能のないこと、貧しさは、神の恵みを受けられなかったからではありません。大切なことは「神からどんな賜物を受け取ったか」ではなく、「神の賜物を大切にしているか。神の御心にふさわしく賜物を用いているか」です。イスラエルの初代の王サウル、最高の知者ソロモン、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダは、神の賜物をどのように用い、その結果、どうなったでしょうか。神の賜物を、神の御心にふさわしく用いるとき、私たちはまことの幸せを味わうことができます。

聖書黙想 詩篇127篇1~2節

聖書黙想 詩篇127篇1~2節(新改訳 旧約p.953)
「人の労苦」

 聖徒は、何かをするとき、神がそれを喜ばれるか、祈って尋ねなければなりません。神が喜ばれず、ともにおられないことなら、そのことに対するあらゆる労苦はむなしいだけです。結果が良いからといって、それを神が喜ばれることだと無条件に決めつけてはなりません。私たちは何かを始めるときだけでなく、進めていくときも神の御心を尋ね続け、神の主権を認めなければなりません。神は、神が喜ばれることを行う人を愛され、眠りを与えられます(2節、新改訳欄外注)。これは、よく眠れるかどうかで、その人に対する神の愛を測ることができるという意味ではなく、神が喜ばれることを行う人には、必要なものを与えてくださるという意味です。自分が喜ぶことではなく、神が喜ばれることを行う聖徒になりましょう。

祈り 申命記34章1~12節

祈り 申命記34章1~12節(新改訳 旧約pp.336-337)

 いつでも主が呼ばれるときに、準備できた状態で答えることができますように。みことばである主と交わる恵みを与えてくださり、知恵の霊である聖霊で満たしてください。