Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 エレミヤ書5章7~9節

聖書黙想 エレミヤ書5章7~9節(新共同訳 旧約p.1183)
「豊かさによる姦淫」

 神が与えた富と豊かさが聖徒の霊的生活において罠にならないように、目を覚ましていなければならない。人は豊かで平安になると怠惰になり、罪の沼に陥っていく。神はご自分の民を愛し、多くの祝福を下さった。しかし彼らは神に仕えず、他の神々や偶像に仕えた。霊的な堕落は肉体的な堕落を引き起こし、民の生活は放縦へと向かった。社会の倫理と道徳は地に落ち、「情欲に燃える」民は「隣人の妻」を欲しがり、「姦淫を犯し」た。サタンはこのような生活が楽しく美しいものであるかのように騙す。聖徒の生活はこの世の価値と区別されなければならない。罪の生活は必ず神の怒りをもたらす。神の怒りを避けるために罪の生活から立ち返り、十字架の前に出て行こう。

聖書黙想 エレミヤ書5章1~6節

聖書黙想 エレミヤ書5章1~6節(新共同訳 旧約pp.1182-1183)
「正しい者がいない町」

 神は「正義を行い、真実を求める者」を捜しておられる。たとえ少数であっても、神は彼らの故に、罪に満ちた町全体を赦したいと願っておられる。しかし、エルサレムの町は「背きを重ね」、最早なす術のないほど罪という腫瘍が広がっていた。民は神を求めているように見えたが、真実さはなく、見せかけだけであった。「身分の低い人々」は「主の道、神の掟を知ら」ず、「身分の高い人々」は「主の道、神の掟を知ってい」ながら従わなかった。神が責められても彼らは「立ち帰ることを拒み」、寧ろ心が頑なになっていった。聖徒の霊的生活の中心には神を愛する真実さがなければならない。そして、その真実さは御言葉への従順によって現れる。神が語られる時、すぐに従うべきである。そして、イエス・キリストの十字架のもとに進み出て、涙と共に悔い改めるのである。

祈り エレミヤ書4章11~22節

祈り エレミヤ書4章11~22節(新共同訳 旧約pp.1181-1182)

 時に私の中にある罪自体が苦しみとなり、心を傷つける時があります。罪は神と断絶させます。御前で心の罪を洗い、平安を得ることが出来ますように。

祈り エレミヤ書4章1~10節

祈り エレミヤ書4章1~10節(新共同訳 旧約pp.1180-1181)

 私の目には肥えた地が、神の目には今すぐ耕すべき古い地であることを悟りました。私の信仰の荒れた地を耕し、主が喜ばれる良い地に出来ますように。

聖書黙想 エレミヤ書4章19~22節

聖書黙想 エレミヤ書4章19~22節(新共同訳 旧約pp.1181-1182)
預言者の嘆き」

 バビロンの侵略によるユダの悲惨な状況を知り、エレミヤは心理的な苦しみを告白している。エレミヤの「魂」は既に戦いの「角笛の響き、鬨の声を聞」いていた。彼はユダの民がバビロンの侵略に対する警告を信じないことを嘆き悲しみ、ユダの将来に対して現在の事実のように述べている。「破壊に次ぐ破壊」は、戦いによる災いが長い間続くことを、「瞬く間にわたしの天幕が/一瞬のうちに、その幕が荒らし尽くされる」は、要塞が何の防御手段にもならないことを意味している。エレミヤの嘆きを通して、私達は預言者の苦しい心が感じられる。神の働き人には時に人知れぬ痛みと苦しみがある。しかし、神はこのような痛みと苦しみを通しても働かれる方であることを覚えなければならない。

聖書黙想 エレミヤ書4章11~18節

聖書黙想 エレミヤ書4章11~18節(新共同訳 旧約p.1181)
「神の裁き」

 悪しきイスラエルに対する神の裁きについて語られている。徹底的な滅びが迫って来ていることを、「熱風」「激しい風」「雲」「鷲」などで表現している。ここでの「風」とは、「ふるい分け」たり、「清める」ためのものではなく、徹底的な裁きを目的とした手段である。つまり「熱風」とは、渇いた熱い強風で、全ての植物を枯死させる風の特徴を象徴している。これは侵略勢力がユダを滅ぼし尽くすことを示している。ユダは、神の裁きから救われるために、「心の悪を洗い去」る(14節)道を選択しなければならない。神は必ず罪を裁かれる。この聖書箇所は、背信したイスラエルの民に神の裁きが下るように、今日の私達にも罪に対する神の裁きがあることを教えている。