Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

2018-10-08から1日間の記事一覧

聖書黙想 詩篇96篇7~13節

聖書黙想 詩篇96篇7~13節(新改訳 旧約pp.920-921)「礼拝を通して回復される世界」 栄光と力は主に属するものなので、私達はその御名に相応しい栄光を主にささげなければなりません。神とクリスチャンの関係は、礼拝を通して更に鮮明に現れます。特に、心を…

聖書黙想 詩篇96篇1~6節

聖書黙想 詩篇96篇1~6節(新改訳 旧約p.920)「国々に宣言すべき神の救い」 クリスチャンは、賛美をもって、また生活を通して、この世に神を告げ知らせなければなりません。本篇の内容は、ダビデが主の契約の箱をエルサレムに運び上った後、アサフとその兄弟…

野村「聖書解釈と説教」『新たな一歩を』p.67

野村 信「聖書解釈と説教――カルヴァンの聖書解釈論の考察」アジア・カルヴァン学会日本支部編『新たな一歩を――カルヴァン生誕500年記念論集』東京: キリスト新聞社, 2009年, p.67 「カルヴァンの『聖書の著者の意図を説き明かす』という方法は、まさしく、聖…

Klooster, Calvin’s Doctrine of Predestination (金田訳『カルヴァンの予定論』p.63)

Fred H. Klooster, Calvin’s Doctrine of Predestination, Grand Rapids, Michigan: Baker Book House, 1977, 2nd ed.(金田 幸男訳『カルヴァンの予定論』竹原: 聖恵授産所出版部, 1984年, p.63) 〈引用〉 カルヴァンの説教集の一つでは「イエス・キリストの…

Klooster, Calvin’s Doctrine of Predestination (金田訳『カルヴァンの予定論』p.54)

Fred H. Klooster, Calvin’s Doctrine of Predestination, Grand Rapids, Michigan: Baker Book House, 1977, 2nd ed.(金田 幸男訳『カルヴァンの予定論』竹原: 聖恵授産所出版部, 1984年, p.54) 「同時に、カルヴァンは、遺棄される者にも福音の説教が、神…

赤木『教会的キリスト教』p.42

赤木 善光『教会的キリスト教』自由が丘教会文庫; 1, 東京: 日本基督教団自由が丘教会出版委員会 (発売 東京: 教文館), 1977年, p.42 「したがって我々は『使徒信条』を唱えるとき、その中に集約されている教会の生命的伝統にあずかるのである。この生命的伝…

村田『宗教の発見』p.129

村田 充八『宗教の発見――日本社会のエートスとキリスト教』阪南大学叢書; 88, 京都: 晃洋書房, 2010年, p.129 「人は、現実の生活のなかで苦難に遭遇するとき、しばしば、『苦難』の原因を探り、その終末論的救いが何によってもたらされるかを追求する。人は…

佐藤『日本人は宗教が分かっているか』p.43

佐藤 敏夫『日本人は宗教が分かっているか』福音の原点; 3, 東京: 新教出版社, 1997年, p.43 「まず浄土真宗のグループである。主として農民に支持されたが、室町中期までははかばかしい発展は見られなかった。しかし本願寺八世蓮如にいたって教勢の飛躍的な…

蔦田「なぜ聖書信仰が必要か」『なぜ聖書信仰が必要か』pp.12-13

蔦田 二雄「なぜ聖書信仰が必要か」蔦田 二雄, 石丸 新, 村瀬 俊夫『なぜ聖書信仰が必要か――神学・教会・倫理』東京: いのちのことば社, 1970年, pp.12-13 「A もし聖書信仰が否定され、聖書が信頼に値する誤りなき神のことばでないとする場合、まず第一に考…

宇野『無宗教亡国論』p.105

宇野 弘之『無宗教亡国論――宗教はなぜ必要か』東京: 国書刊行会, 2011年, p.105 「老人の自殺の多くは、生前に何らかの『心の病』にかかっていることが多い。気分障害、つまりうつ病、うつ状態である。その他、統合失調症、アルコール依存症、人格障害等の診…

赤木『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか』p.42

赤木 善光『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか――神の恵みの手段としての洗礼と聖餐』東京: 教文館, 2008年, p.42 「聖餐と愛餐との相違点は、聖餐と愛餐とにおける人間の姿勢を考えると、ただちに明白になります。『恵みの手段』であるサクラメントにおい…

赤木『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか』pp.32-33

赤木 善光『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか――神の恵みの手段としての洗礼と聖餐』東京: 教文館, 2008年, pp.32-33 「旧約のイスラエルの民は、アッシリヤ捕囚やバビロン捕囚を神の審判として受け止めました。理由は分からないが、自分が、また自分たち…

聖書黙想 ルカの福音書10章38~42節

聖書黙想 ルカの福音書10章38~42節(新改訳 新約p.123)「良い方を選んだのです」 御言葉の前に貧しい心で立つことよりも、優先するべきことはありません。マルタは客をもてなすために忙しくし、マリヤは主人であるイエス・キリストの足もとに座って御言葉を…

聖書黙想 ルカの福音書10章25~37節

聖書黙想 ルカの福音書10章25~37節(新改訳 新約pp.122-123)「誰が隣人になりましたか」 愛は、条件も資格も問わず、助けを必要とする人に喜んで与えます。或る律法の専門家がイエス・キリストを試すために、何をすれば永遠の命を得ることが出来るかと尋ねま…

聖書黙想 詩篇111篇7~10節

聖書黙想 詩篇111篇7~10節(新改訳 旧約p.937)「贖われる神」 神の大きな恵みを賛美するには、私達の一生でも足りません。神の御業は尊厳と威光があり、正しいだけでなく、真実で公正だからです。恵み深く義なる神は、ご自分の民の肉の必要を満たす食べ物を…

聖書黙想 詩篇111篇1~6節

聖書黙想 詩篇111篇1~6節(新改訳 旧約p.937)「約束を果たされる神」 神との契約を結んだ聖徒は、神を王として迎えた者です。聖徒は神を恐れ、いつも正直な人生を歩まなければなりません。神はこのような聖徒のために、正しく尊厳と威光のある御業を行われ、…