Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

2018-10-30から1日間の記事一覧

聖書黙想 ルカによる福音書13章18~21節

聖書黙想 ルカによる福音書13章18~21節(新共同訳 新約p.135)「神の国は何に似ているか」 サタンが権威を振るっても、世には神の輝かしい御業で満ちている。イエスは、安息日論争を神の国と結び付けられる。神の国は一粒のからし種のようなものである。ほん…

聖書黙想 ルカによる福音書13章10~17節

聖書黙想 ルカによる福音書13章10~17節(新共同訳 新約pp.134-135)「安息日に病を癒される」 安息日の真の意味は、縛られていた魂を解放することである。18年間も病の霊に憑かれ、腰が曲がっている女がいた。その女が願ったわけでもないのに、イエスは彼女を…

聖書黙想 詩編129編1~8節

聖書黙想 詩編129編1~8節(新共同訳 旧約p.972)「シオンを憎む者が受ける恥」 ここで言う「主に逆らう者」が誰なのか、正確に知ることは出来ないが、歴史の中でイスラエルを度々苦しめた人々である。彼らはまるで農夫が畑を耕して長い畝を作るように、イスラ…

聖書黙想 詩編128編1~6節

聖書黙想 詩編128編1~6節(新共同訳 旧約p.972)「神を畏れ敬う者が受ける祝福」 神は、神を畏れ敬い、神の道を歩む者を祝福して下さる。神を畏れ敬う人とは、神を知り、神と親密な関係を維持し、悪を憎み、悪から離れる人である。また、神を畏れ敬うとは、た…

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章31~33節

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章31~33節(新共同訳 新約p.358)「夫婦は互いに敬い合いなさい」 夫婦関係は力と励ましの源である。神は、人が父と母を離れ、その妻と結ばれて一体となって家庭を造るようにされた。夫婦関係はキリストと教会の関係に喩えら…

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章25~30節

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章25~30節(新共同訳 新約p.358)「妻を愛しなさい」 夫婦は一つの体であり、キリストの体の部分である。夫は、キリストが教会のためにご自身を献げられたように、妻を愛さなければならない。キリストが教会を清め、美しく、…

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章22~24節

聖書黙想 エフェソの信徒への手紙5章22~24節(新共同訳 新約p.358)「夫に仕えなさい」 夫婦の関係は、キリストと教会の関係のようなものである。キリストが教会の頭であられるように、夫は妻の頭である。それ故、妻は、教会が主に従うように、全てにおいて夫…

遠藤「礼拝におけるいけにえと祭司の役割」『礼拝の聖書的な理解を求めて』p.81

遠藤 嘉信「礼拝におけるいけにえと祭司の役割――レビ記から」聖書神学舎教師会編『礼拝の聖書的な理解を求めて』東京: いのちのことば社, 2002年, p.81 〈引用〉 つまり、自分で考えた方法ではなく、神の定めた唯一の方法によって、かろうじて礼拝者は神に近…

遠藤『みことばを生きる』pp.110-111

遠藤 勝信『みことばを生きる――聖書的霊性の理解』東京: いのちのことば社, 2012年, pp.110-111 〈引用〉 近代以降の神学は、教会の支配、既成の教理、聖書の権威からの自由を主張するあまり、聖書そのものが期待する読みの姿勢をも見落としてきた面がありま…

尾山『聖書の教理』p.135

尾山 令仁『聖書の教理』東京: 羊群社, 1985年, p.135 〈引用〉 最初の人間が罪に陥った時、彼は神の御前に立つことのできる正しさを失い、神との交わりをなくし、理性も意志も感情も、あらゆる機能が罪のために汚れてしまいました。そのために、罪の中に霊…

比嘉『沖繩の民族宗教とキリスト教』p.151

比嘉 盛久『沖繩の民族宗教とキリスト教』東京: いのちのことば社, 1972年, p.151 〈引用〉 救主キリストが大能者の右に座し給うという御宣告は、聖書のあちこちに、まだある。キリストが神の右に座し給うという、その右とは何か。それは、キリストが天地霊…

比嘉『沖繩の民族宗教とキリスト教』pp.55-56

比嘉 盛久『沖繩の民族宗教とキリスト教』東京: いのちのことば社, 1972年, pp.55-56 〈引用〉 聖書によれば、キリストの御救いと関係のない異教徒は、宗教的で、道徳的であっても、神を持っていない人々である。したがって、その経験するところは神によるも…

中野「『聖餐』の歴史的三つのルーツを探る」『まことの聖餐を求めて』pp.62-63

中野 実「『聖餐』の歴史的三つのルーツを探る――個性的であるがゆえに魅力的な共同体形成を目指しつつ」芳賀 力編『まことの聖餐を求めて』東京: 教文館, 2008年, pp.62-63 〈引用〉 また教会は神の国ではない、という点にも注意を向けなければならないでし…

牧田「改革教会の伝統の立場から」『まことの聖餐を求めて』p.196

牧田 吉和「改革教会の伝統の立場から」芳賀 力編『まことの聖餐を求めて』東京: 教文館, 2008年, p.196 〈引用〉2 聖餐共同体とこの世 キリストの王的支配は聖餐において聖霊によって現実化し、その中でキリストに結び合わされた聖徒の交わりが具体的に示さ…

Bounds, Power Through Prayer (羽鳥訳『祈りによる力』p.33)

E. M. Bounds, Power Through Prayer, New York: Cosimo Inc, 2007(羽鳥 純二訳『祈りによる力』東京: いのちのことば社, 1972年, 改訳, p.33) 〈引用〉 説教者は、まず第一に祈りの人でなければなりません。祈りを学ぶことによってのみ心は説教する方法を学…

西「ディアコニアの神学をめざして」『愛の業(ディアコニア) に生きる教会』p.123

西 牧夫「ディアコニアの神学をめざして――原点から考える」杉山 昌樹, 吉田 実, 西 牧夫『愛の業(ディアコニア) に生きる教会』リフォームド・パンフレット; 9, 神戸: 神戸改革派神学校, 2016年, p.123 〈引用〉 私たちが召されている隣人に対する「ディアコ…

越川『礼拝』p.55

越川 弘英『礼拝』信仰生活の手引き, 東京: 日本キリスト教団出版局, 2013年, p.55 〈引用〉 他者のために存在する教会の原点となるのが礼拝です。私たちの礼拝が世界と隣人を覚えて献げられるとき、教会は執り成し手としての働きを担います。そして礼拝が真…

越川『礼拝』p.146

越川 弘英『礼拝』信仰生活の手引き, 東京: 日本キリスト教団出版局, 2013年, p.146 〈引用〉 宣教のわざは宣教する相手だけではなく宣教する私たち自身が新たな現実を発見する契機となります。それはまさしく「心を新たにして自分を変えていただき、何が神…

越川『礼拝』p.15

越川 弘英『礼拝』信仰生活の手引き, 東京: 日本キリスト教団出版局, 2013年, p.15 〈引用〉 とてつもない不幸に直面したので救いを求めて宗教に走る……。伝統的な日本人の感覚からすれば、むしろこうした反応のほうが一般的なのかも知れません。 キリスト者…