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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編24編1~10節

聖書の黙想と適用 詩編24編1~10節(新共同訳 旧約p.855)

(1) 世界とそこに住むものは、主のもの(1~4節)

 ダビデは天地万物を造られた主なる神を讃美する。主なる神は「大海の上に地の基を置き/潮の流れの上に世界を築かれた」(2節)創造主であり、「地とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものは、主のもの」(1節)である。それ故、イエス・キリストは「神の言葉を聞き、それを守る人」(ルカによる福音書11章28節)は幸いであると言われた。しかし、この世は、主なる神の「言を認め」ず、「受け入れ」ず(ヨハネによる福音書1章10~11節)、この世の全てのものが主なる神の主権の下にあることを認めようとしない。
 その一方で、「主を求める人」(6節)が全くいないわけではない。それは「潔白な手と清い心をもつ人」(4節)である。ダビデによれば、行いにおいても、考えや思いにおいても清い者は「むなしいものに魂を奪われることなく/欺くものによって誓うことをしない」(4節)。そのような人は、隣人との関係においては「舌には中傷をもたない人」「友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人」であり(15編3節)、主なる神との関係においては「主を畏れる人」(同4節)である。それ故、「主の山に上り/聖所に立つことができる」(3節)。主なる神はご自身を礼拝する者に清さを求められる。

(2) 栄光に輝く王が来られる(5~10節)

 主なる神は、ご自分を慕い求める者を「祝福し」、ご自分の「御顔を尋ね求める人」に「恵みをお与えになる」(5~6節)。ヤコブは「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来る」(ヤコブの手紙1章17節)と述べている。主なる神は祝福と恵みを通して、そのような人が創造の目的に従って生きるようにされる。即ち、主なる神から祝福と恵みを受けた人は、この世界に主なる神のご支配(神の国)が確立されるために戦う人生を生きるようになる。
 神の民は「城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる」(7節、9節)と宣言する。この門は、主なる神の支配下に入ることを拒み、その主権を受け入れない勢力を象徴している。しかし、「栄光に輝く王」 (8節)が来られる時、彼らは武装解除と開城を余儀なくされる。イエス・キリストは「武装して自分の屋敷を守っている」「強い人」――サタンとその勢力――を襲い、彼らに勝利される(ルカによる福音書11章21~22節)。イエス・キリストこそ「強く雄々しい主、雄々しく戦われる主」であり(8節)、「万軍の主」であり、「栄光に輝く王」である(10節)。