Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編27編1~14節

聖書研究 詩編27編1~14節(新共同訳 旧約pp.857-858)

【概要】
 詩人は「主はわたしの光、わたしの救い」、「わたしの命の砦」であり、「わたしは誰の前におののくことがあろう」と告白する。彼の願いは「命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えること」であった。彼は、主なる神が呼び求める自分の声を聞いて下さり、「平らな道に導いてくださ」るよう願い、主を待ち望むと告白した。

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
(1) 主は私の救い(1~6節)

 聖徒は、〈状況〉とは関係なく、〈信仰〉によって生きる。詩人は、自分に向かって軍隊が「陣を敷」き、今にも戦いが起こりそうな危機的状況にあっても(3節)、恐れたり、慄いたりしないと告白する(1節)。このような平安の根拠は、ご自分の民を「仮庵にひそませ/幕屋の奥深くに隠してくださる」(5節)主なる神に、全き信頼を寄せることにある。「主を仰ぎ望」(4節)み、その方の臨在を慕い求める時、主なる神への信頼が堅固になる。主なる神が必ず救い出して下さるという確信があるなら、自分の置かれている現実を恨んだり、不平を言ったりする代わりに、主なる神の守りと救いに対して感謝と讃美を献げることが出来る(6節)。現実から目を離して主なる神に視線を定める時、聖徒はこの世が与えることの出来ない真の平安を味わうことが出来る。

(2) 主を待ち望め(7~14節)

 自分では解決出来ない問題の前に、独りで立っているような時も、主なる神は共にいて下さる。詩人は、危機に直面した自分を主なる神が見捨てられたように感じるが、それでもひたすら主なる神の応答を祈り求めた(7~9節)。最終的には「主の恵みを見る」(13節)という確信があるからである。彼は、敵を去らせて下さるようにと祈る代わりに、自分に「あなたの道を示し/平らな道に導いてください」(11節)と主なる神に願い求めた。敵を裁くのは主なる神がされることであり、主なる神は、苦難を通して自分を義の道へと導き、全てのことを働かせて益として下さると信じていたからである。これが祈る者としてあるべき姿である。苦難の中で聖徒が示すべき態度は、主なる神の主権を認め、この方の働かれる御手を待ち望むことである。

【適用】
1. 詩人は自分の切迫した状況をどのように表現しているか。私達は現実に対して不平を言っていないか。そのような状況でも主なる神に感謝と讃美を献げることが出来るか。

2. 詩人が主なる神の前で願ったことは何か。主なる神が私達を見捨てられたかのように思われる時、どのように祈るべきだろうか。

祈り
 災いの日に私を匿い、慰めて下さる主なる神の御手を経験出来ますように。世が私を捨てても、主なる神は決して私を見捨てないことを信じて大胆になり、全てのことの結論が主なる神への讃美になりますように。