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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編29編1~11節

聖書研究 詩編

聖書研究 詩編29編1~11節(新共同訳 旧約pp.859-860)

(1) 栄光と力を主に帰せよ(1~2節)

 ダビデは人々に「御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ」(2節)と呼びかけた。「栄光と力を主に帰せよ」(1節)とは、主なる神が主なる神として当然受けるべき待遇を受けるということである。
 例えば、私達は、地位や名誉や富を与えられると、自分の能力や努力によって得たと考え、栄光を独り占めしようとする。また、「私にとっての神」という言葉のもと、主なる神を自分の好みや考えに合うように矮小化してしまうことがある。或いは、この世界で起こっている様々な罪の現実に対して主なる神を甚だ無力な存在と見なしてしまうことがある。しかし、主なる神はいつでもどこでも相応しい栄光を受けるべき方である。
 主なる神に栄光を帰すためには、イエス・キリストが私達に教えて下さったように、「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」(ルカによる福音書17章10節)と告白し、被造物として、僕としての本分にいつも立ち返る必要がある。

(2) 力と平和をお与えになる主なる神(3~11節)

 ダビデは自然に目を向ける。「大水」や「雷鳴」は(3節)、「レバノンの杉の木を砕き」(5節)、山林を荒れ地に変えてしまう。また、地震は、高く聳える「シルヨン」、即ちヘルモン山を「野牛の子」が躍っているように揺れ動かす(6節)。また、「カデシュの荒れ野」をまるで「もだえ」ているかのように揺らす(8節)。これらは皆恐ろしい災害である。
 にもかかわらず、ダビデは「主の御声は水の上に響く」(3節)、「主は洪水の上に御座を置く」(10節)と述べ、その中に主の御声を聞いている。そして「主の御声は力をもって響き/主の御声は輝きをもって響く」(4節)とさえ述べている。また、神殿にいた全ての者が「栄光あれ」(9節)と唱えている。彼らは何故そのように言えたのだろうか。恐ろしい自然災害の只中にあっても、それらを治めておられる主なる神を見上げていたからである。主なる神の力強い御力と統治はこの世界の到る所に及んでいる。それ故、ダビデはいかなる状況にあっても主なる神の御声を聞き逃さなかった。
 その上で、ダビデは「どうか主が民に力をお与えになるように。どうか民を祝福して平和を与えになるように」(11節)と祈りをささげている。天地万物を支配されている主なる神は、私達にいかなる試練にも耐えることの出来る「力」、いかなる状況にあっても揺らぐことのない真の「平和」を与えて下さる。