Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書のメッセージ テサロニケの信徒への手紙一4章14節

香住ヶ丘バプテスト教会 子どもメッセージ 2013年3月31日
聖書箇所: テサロニケの信徒への手紙一4章14節

 今日はイースターイエス・キリストが甦られたことをお祝いする日です。
 皆さんは、先月礼拝で「球根の中には」という讃美歌を歌ったのを覚えていますか。「球根の中には 花が秘められ さなぎの中から いのちはばたく 寒い冬の中 春はめざめる」という2月にとても相応しい讃美歌でした。その一方で、私はこの讃美歌を別の時に歌ったことがあります。それは告別式(お葬式)の時です。
 何年も前の話ですが、大学でお世話になっていたクリスチャンの先生が急性白血病で逝去され、私はその告別式に出席しました。先生は皆から慕われ、愛されていた方で、私も先生の優しい笑顔と励ましの言葉にいつも力付けられました。それだけに先生の突然の死を受け入れることが出来ず、もうお会いすることが出来ない、もうお話しすることが出来ないということが堪らなく悲しく思われました。
 しかし、棺を霊柩車に乗せ、いよいよ出発する前に、皆で歌ったのが「球根の中には」でした。3節に「いのちの終わりは いのちの始め おそれは信仰に 死は復活に ついに変えられる 永遠の朝 その日、その時をただ神が知る」とあります。この讃美歌を歌っていて、私は「キリスト教のお葬式には希望がある。不思議な明るさがある」と改めて思いました。
 では、「いのちの終わりは いのちの始め」とどうして私達は歌えるのでしょうか。聖書は私達に次のように告げています。「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」。
 死ぬことが死ぬことで終わらないのは、悲しみが悲しみで終わらないのは、イエス・キリストが甦られたからであると聖書は語ります。今から2000年前、イエス・キリストは十字架にかかって死なれました。しかし、イエス・キリストの死は終わりではありませんでした。3日目に甦られ、新しい始まりとなりました。
 同じように、私達も死んで終わりではなく、その先があります。勿論、死は愛する人との暫くの別れをもたらします。私達を深い悲しみの中に投げ込みます。しかし、死は全ての終わりではありません。「死は復活に」変えられる時が必ずやって来ます。先に死を迎えた兄弟姉妹と再び出会える日が必ず訪れます。だから、私達は悲しみから立ち上がることが出来ます。
 イエス・キリストは甦られ、今も生きておられます。これまでも、今も、そしていつまでも私達と共にいて下さいます。私達が悲しみの中にある時、私達の目から涙を拭って下さいます。今日はイースターです。イエス・キリストが甦られたことを、喜びをもって、感謝をもってお祝いしましょう。

祈り
 愛する天の父よ、あなたは御子イエス・キリストを死の中から甦らせられました。私達はイエス・キリストを信じることによって、「いのちの終わりはいのちの始め」であるという希望を与えられました。そのことを心から感謝致します。イエス・キリストが私達といつも共にいて下さるということを覚え、これからもイエス・キリストに従って歩む者とさせて下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。