Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編31編10~25節

聖書研究 詩編31編10~25節(新共同訳 旧約pp.861-862)

【概要】
 ダビデは、苦しみの中にある自分を憐れんで下さるよう、主なる神に願い求めた。彼は、罪の故に力が衰え、敵対する全ての人から非難されたが、主なる神に信頼した。主なる神の恵みは豊かで、主なる神はそれを、ご自分を畏れる人のために蓄えておられる。ダビデイスラエルの民に「主を愛せよ」と励ました。

【歴史的背景】
 73の詩の表題にダビデの名が付けられている。その一部は、他の聖書の言葉によって、ダビデが著者であることが立証されている。例えば、イエス・キリストは110編を(マルコによる福音書12章36節)、使徒達やパウロも2編(使徒言行録4章25~26節)、16編(使徒言行録2章25~28節)、32編(ローマの信徒への手紙4章6~8節)、69編(ローマの信徒への手紙11章9~10節)、110編(使徒言行録2章34~35節)をダビデの詩として引用した。
 詩の中では、創造、神の契約、出エジプト、律法、約束の地、エルサレム神殿、バビロン捕囚、エルサレム帰還など、イスラエルの歴史の主要な出来事が主題として歌われている。この諸主題の合間にダビデの人生が織り込まれている。このことから詩編におけるダビデの立場がとても重要であることが分かる。

【釈義】
15節 主なる神への信頼の祈り
 ダビデは死の恐れを感じ、敵からも隣人からも嘲られ、親しかった人々も自分を避ける孤独の中で、ただ主なる神だけに拠り頼んだ。ヘブライ語の原文では文頭に「しかし、私は」のוַאֲנִ֤י ׀ [wa-’ă-nî]が置かれ、ダビデの強い意志と決断が強調されている。ダビデは敵の激しい攻撃にも揺るがされずに主なる神に信頼した。敵や苦しみが自分を四方から取り囲んでいるのに、「あなたこそわたしの神」(אֱלֹהַ֥י אָֽתָּה׃ [’ĕ-lō-hay ’āt-tāh])と告白していることから、主なる神がどのような方かをダビデがよく知り、深く信頼していたことが伝わってくる。

【黙想】
 主なる神を畏れる者のために蓄えられている恵みがある(20節)。主なる神を畏れるとは、主なる神を愛することでもある。誰が何と言っても、主なる神だけを信頼すべきである。主なる神はそれに相応しい方だからである(15節)。私達の将来は主なる神の御手の中にある(16節)。主なる神には勝利だけがあるので、敵に囲まれても恐れず、心配しなくてもよい。それよりも、自分が主なる神の道を歩んでいるかどうかを吟味すべきである。主なる神の光が私達に注がれる時、私達は救われる(17節)。

【適用】
 四方が閉ざされても主なる神に頼るなら、主なる神は私達の手を取って導いて下さる。主なる神が導かれるなら道は開かれる。私達の目に見えないからと言って道がないのではない。主なる神は荒れ野の中でイスラエルの民のために道を作り、彼らを導かれた。それ故、四方が閉ざされていると思われるような時でも、主なる神に頼るべきである。そして、主なる神の御手を掴み、信仰によって従っていくべきである。主なる神は私達を敵の手から引き出して下さり、祝福へと導いて下さる。どのような時も主に委ね、主が先立って行かれるところに従うなら、道はいつでも開かれる。

【祈り】
 今この時も恵みで私を包んで下さる主よ、悲しみや苦しみの中で私が経験したあなたの愛を、周りの人と分かち合うことが出来ますように。今は理解出来ない苦しみもいつか他の人を生かす薬となることを信じます。