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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書のメッセージ マルコによる福音書10章48節

香住ヶ丘バプテスト教会 子どもメッセージ 2014年5月25日
聖書箇所: マルコによる福音書10章48節

 今朝私達が読みましたのは、イエス・キリストエルサレムに向かっていた旅の途中の出来事です。
 エリコという町にバルティマイという人がいました。彼は目が見えませんでした。この頃、目が見えない人は、主なる神の愛と恵みの外にいる人と見なされ、蔑まれていました。バルティマイは、来る日も来る日も道端に座り、物乞いとして人の施しを受けて生活していました。しかし、それは、どんなに寂しく、空しく、辛い日々だったでしょうか。
 そのような彼が、イエス・キリストがエリコの町に来ておられること、そして自分の近くをイエス・キリストが通られていることを聞きました。目の見えないバルティマイは、自分でイエス・キリストのもとに行くことも、イエス・キリストを探すことも出来ません。彼に出来ることは大声で叫び求めることだけでした。
 バルティマイは「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」とひたすら叫び続けました。人々はバルティマイを叱りつけ黙らせようとします。しかし、バルティマイは止めません。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」とますます大声で叫び続けました。イエス・キリストは必ず自分に目を留めて下さる。苦しみの中にある自分を見過ごすことなく、憐れんで下さる。そのように確信していたからです。
 バルティマイの叫びはイエス・キリストの歩みを止めました。イエス・キリストは、立ち止まって、「あの男を呼んできなさい」と言われ、彼を自分のところに招きました。そして、バルティマイに「何をしてほしいのか」と尋ねました。それに対し、彼は「先生、目が見えるようになりたいのです」と願い求めました。イエス・キリストは「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と宣言され、バルティマイの目は見えるようになりました。
 イエス・キリストは、「わたしを憐れんでください」と叫び続けたバルティマイに《信仰》を見出されました。信仰というのは、「わたしを憐れんでください」とイエス・キリストに向けて叫び続けることです。そして、私達がイエス・キリストに切に求める時、イエス・キリストはその祈りを聞いて、立ち止まって下さいます。イエス・キリストを信頼して献げられた祈りは決して空しく終わることはありません。

祈り
 愛する天の父よ、私達は、苦しみや悲しみの中でイエス・キリストを見出せなくなることがあります。そして、「どうせ祈ったところで何も変わらない」と諦めに支配され、祈るのを止めてしまうことがあります。そのような私達をどうか憐れんで下さい。そして、バルティマイのように諦めずに主に求め続ける《信仰》を、私達に増し加えて下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。