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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編33編1~22節

聖書研究 詩編33編1~22節(新共同訳 旧約pp.863-864)

(1) 主に向かって喜び歌え(1~12節)

 主なる神の御言葉は正しく、その御業は全て真実であられる(4節)。「主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ」(9節)とダビデは言う。主なる神はその御言葉を通して「恵みの業と裁き」(口語訳「正義と公平」、新改訳「正義と公正」)を行われる(5節)。この2つが主なる神がこの世界を統べ治める原理である。
 主なる神は、「御言葉によって」天を創造し、「口の息吹」によって「天の万象」、即ち太陽と月と星々を創造された(6節、創世記1章14~18節)。地の創造においても、「主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた」(7節)とダビデが歌っているように、主なる神はこの世界に秩序を与えられた(創世記1章9~10節)。地を混沌のままで放置されることはなかった(同2節)。そこには主なる神の「慈しみ」が満ちている(5節)。この主なる神の完全な御業に対し、「全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく」(8節)ことになる。
 また、主なる神は、創造主として歴史も治めておられる。「国々の計らい」は砕かれ、「諸国の民の企て」は挫かれるけれども、「主の企てはとこしえに立ち/御心の計らいは代々に続く」(11節)とダビデは語る。それ故、彼は、「主に従う人」(1節)に、「琴」と「十弦の琴」を奏でて(2節)、「新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ」(3節)と主なる神に感謝と讃美を献げることを呼びかける。「主を神とする国/主が嗣業として選ばれた民」は幸いである(12節)。

(2) 我らの魂は主を待つ(13~22節)

 主なる神はこの世の全てのことをご存知であられる。主なる神は、「天」、即ちご自分の「御座を置かれた所」からご自分の造られた全ての人間を御覧になり、その一人一人に目を留められている(13~14節)。そして、私達が行うことを全て見ておられる(15節)。特に、主なる神は「主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に」「御目を注がれる」(18節)。
 この世においては、戦いでの勝利を決定するのは「兵の数」「力の強さ」「馬」であると考えられている。しかし、軍勢や勇士の力といった人間的な強さが救いをもたらすのではないとダビデは言う(16~17節)。世のいかなる力も私達を救うことは出来ない。主なる神こそが「彼らの魂を死から救い/飢えから救い、命を得させてくださる」(19節)方である。「主は我らの助け、我らの盾」と信じる者は、主なる神を待ち望み(20節)、主なる神の「聖なる御名に依り頼む」(21節)。そして、「主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように/主を待ち望む我らの上に」(22節)と祈る。主なる神こそがその民の希望であられる。