Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編34編1~11節

聖書研究 詩編34編1~11節(新共同訳 旧約pp.864-865)

(1) わたしと共に主をたたえよ(1~7節)

 詩編34編は「ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに」(1節)作った詩である。この時、ダビデイスラエルの王サウルから命を狙われ、敵国ガトに逃亡していた。しかし、その地で彼の正体が明らかになりそうになった。それに対し、ダビデは「ひげによだれを垂らし」て狂人を装うなど、なりふり構わず保身に努めた(サムエル記上21章11~14節)。ダビデにとってそれは過酷で屈辱的な状況であった。
 にもかかわらず、そのような苦境の中でダビデは「どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしは主を賛美する」(2~3節)と主なる神への信仰を告白した。そして、ただ主なる神だけに依り頼んだ。主なる神は、呼び求めるダビデの声を聞き、「脅かすもの」や「苦難」から「常に救い出」された(5節、7節)。このようなダビデの経験は、「貧しい人」(3節、7節)、「主を仰ぎ見る人」(6節)に、主なる神は祈りに応えて、御業を為して下さるという希望を与えるものである。それ故、ダビデは、共に主なる神を礼拝するイスラエルの民に向けて、「わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう」(4節)と呼びかけた。

(2) 味わい、見よ、主の恵み深さを(8~11節)

 苦難の中でダビデは目に見える状況の背後で起こっている霊的な戦いに気付かされた。「主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった」(8節)とダビデは歌う。主なる神は、ご自身を畏れる人が苦しい状況にある時、援軍として主の使いを送り、その人を敵の攻撃から守って救い出される。
 或る牧師の説教集の中にアメリカの公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の祈りが紹介されていた。バス・ボイコット運動を始めた後、キング牧師は脅迫電話や脅迫状を頻繁に受け取るようになった。或る夜更け、脅迫電話を切ると、恐怖が一挙に押し寄せてきて、彼は眠れなくなった。その時、キング牧師は、次のように祈り、そしてそれに対する主なる神の語りかけを聞いた。

「彼はコーヒーカップには手も触れず、テーブルに突っ伏して祈りました。『主よ、私はここで正しいことをしようとしています。私はここで正しいと信じることのために立ち上がっているのです。しかし主よ、私は告白しなければなりません。私は弱いのです。私は倒れそうです。勇気を失いそうです……』。その時彼は『内なる声の静かな励まし』を聞き取るのです。『マーティン・ルーサーよ、正義のために立て。真理のために立て。見よ、私はお前と共にいる。世の終わりまでも共にいる』」(松本敏之『正義と平和の口づけ』マタイ福音書を読もう; 2, 東京: 日本キリスト教団出版局, 2014年, pp.82-83)。

 その瞬間、キング牧師は「それまで一度も経験したことのない神のご臨在を経験」すると共に、「恐怖心が消え」、「何事にも立ち向かっていける心」になったという(同上 p.83)。
 ダビデも、「主の恵み深さ」を経験し、いかなる状況にあっても主なる神の「御もとに身を寄せること」(9節)が正しい態度であると学んだ。「主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え」(10節)とダビデは言う。「若獅子」は、力が強く、動きも敏捷であるが、それでも「獲物がなくて飢え」ることがある(11節)。しかし、「主を畏れる人には何も欠けることがない」(10節)。何故なら、主なる神が「主に求める人には良いものの欠けることがない」(11節)ように満たして下さるからである。