Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編3編1~9節

聖書研究 詩編3編1~9節(新共同訳 旧約p.836)

(1) あなたは私の盾(1~7節)

 ダビデは自分に従う者よりも実子アブサロムの反逆に加担した者が多いことを主なる神に訴えた(2節)。ダビデが直面している危機と避け難い苦しみは、「主よ、わたしを苦しめる者は/どこまで増えるのでしょうか」(2節)という言葉を通して表現されている。これはダビデがアブサロムを避けてエルサレムの神殿から逃れた直後の緊迫した状況を思わせる(1節)。私達もダビデのように無数の敵に囲まれている時がある。
 しかし、ダビデは、主なる神が自分の「盾」(4節)であり、自分を「支えていてくださ」(6節)るが故に、「いかに多くの民に包囲されても/決して恐れ」(7節)ないと告白する。多くの敵が「彼に神の救いなどあるものか」(3節)とどれだけダビデを侮辱しようとも、ダビデは、主なる神が彼の人生の「栄え」(4節)であるので、決して倒れることはないと信じていた。「わたしの頭を高くあげてくださる方」(4節)という彼の信仰告白は、主なる神がダビデを再び高め、王権を回復して下さることを意味する。

(2) 救いは主のもとにある(8~9節)

 私達はダビデの姿の中に、苦難の時、キリスト者がどのように生きるべきかに対する明確な答えを得ることが出来る。
 ダビデは、主なる神に「主よ、立ち上がってください。わたしの神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち/神に逆らう者の歯を砕いてください」(8節)と切なる思いで叫んだ。彼は苦難の中にあっても恐れることがなかった。裏切りによって傷だらけになっても、悪に悪をもって対抗することはなかった。憤りを覚えるような目に遭った時には、自分の内にある思いを主なる神の御前に注ぎ出した。
 ダビデの祈りは「救いは主のもとにあります。あなたの祝福が/あなたの民の上にありますように」(9節)という言葉をもって結ばれている。私達はダビデを通して、どれだけ憎い敵であっても、自分の力で敵対してはならないということを学ぶことが出来る。