Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章1~14節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章1~14節(新共同訳 新約pp.102-103)

(1) イエス・キリストの誕生(1~7節)

 福音書記者ルカは、イエス・キリストがお生まれになった当時の歴史的背景についてまず記している。それはイエス・キリストが後の時代に創作された架空の人物、神話的な存在ではなく、歴史と社会の中で生きた人物であることを証しするためであった。
「皇帝アウグストゥス」が「全領土の住民に」住民登録をするよう勅令を出した(1節)。「皇帝」と訳されているギリシア語(Καῖσαρ [Kaisar])は、ローマ皇帝の称号で、ユリウス・カエサルに由来する。カエサルは、ローマ共和政末期の政治家で、大衆の人気を得て皇帝になろうとしたが、共和政を守ろうとするブルータスらによって暗殺された。「アウグストゥス」(Αὐγούστος [Augoustos])は、オクタウィアヌスが紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウスクレオパトラ7世を破った後、元老院が彼に与えた称号で、「尊厳者」という意味があった。アウグストゥスによって帝政が始まった。
 いわゆる「ローマの平和」(Pax Romana)を維持するためには、強大な軍事力とそれを裏付ける財源が必要であった。そこでアウグストゥスは住民登録を命令した。人々は登録のために自分の町に旅立った(3節)。ルカは、権力闘争に勝利したローマ帝国の最高権力者と、主なる神によって油を注がれたメシアを対照的に描いている。
 住民登録の勅令は、ダビデの子孫であったヨセフを、妊娠中のマリアと共に(5節)、「ダビデの町」ベツレヘムに向かわせた(4節)。これは、ガリラヤの「ナザレの人」(マタイによる福音書2章23節)と呼ばれたイエス・キリストが、ベツレヘムでお生まれになった経緯を説明すると共に、主なる神が歴史を支配しておられることを示している。旧約聖書にはメシアがベツレヘムで生まれると記されている(ミカ書5章1節)。そして、主なる神はその預言を成就するためにアウグストゥスを用いられた。この世の歴史は、主なる神の御心が実現するための舞台である。人間の目にはアウグストゥスが全てを動かしているように見えても、実際にはイエス・キリストが全ての歴史を治めておられる。ローマ帝国は遥か昔に崩壊したが、イエス・キリストの福音は依然として健在である。全ては主なる神の御心の中にある。
 とはいえ、最も高い所から来られた神の御子は、最も無力な嬰児としてこの世に来られた。月が満ちて、マリアの出産の時が来た(6節)。しかし、登録のために各地から大勢の人がベツレヘムにやって来たので、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(7節)。そのため、イエス・キリストは、家畜の中に紛れてお生まれになり、飼い葉桶に寝かせられた(7節)。全領土の住民に住民登録を命じるアウグストゥスとは対照的に、イエス・キリストは仕える者として最も低い所に来られた(フィリピの信徒への手紙2章7節)。

(2) 羊飼いと天使(8~14節)

 主なる神がイエス・キリストの誕生の知らせを最初に伝えたのは、皇帝アウグストゥスヘロデ王のような権力者ではなかった。また、エルサレム神殿の大祭司のような宗教指導者でもなかった。「夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)貧しい羊飼いであった。
 羊飼い達のもとに主の天使が現れ、「主の栄光が周りを照らした」(9節)。すると、羊飼い達は非常に恐れた。ギリシア語の原文を直訳すると「彼らは大いなる恐れをもって恐れた」(ἐφοβήθησαν φόβον μέγαν [ephobēthēsan phobon megan])となる。これは主なる神の栄光の前で人間が示す当然の反応であると言える。
 それに対し、天使は「恐れるな」と言って、「大きな喜び」の知らせを伝えた(10節)。「喜びを告げる」と訳されているギリシア語(εὐαγγελίζω [euaggelizó])の名詞は「福音」(εὐαγγέλιον [euaggelion])である。天使は羊飼い達に福音を宣べ伝えた。そして、その喜びは、彼らだけでなく、「民全体に与えられる」ものであった。
 天使が羊飼い達に伝えたメッセージの内容は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(11節)というものであった。「メシア」(ギリシア語の原文ではΧριστὸς [Christos]、即ち「キリスト」)とは、「油注がれた者」として、主なる神の救いの御業を成し遂げるために召しを受けた「救い主」である。また、お生まれになった嬰児は「主」(Κύριος [Kyrios])でもあると天使は言う。「主」とは、一般的に「主人」を指す言葉であるが、新約聖書では神に対して用いられる特別な呼称である。
 その上で、天使は彼らに救い主の誕生の「しるし」(証拠)を告げる。それは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つける」(12節)というものであった。「これがあなたがたへのしるしである」という言葉は、ギリシア語の原文(τοῦτο ὑμῖν σημεῖον)では強調のために文頭に置かれている。
 すると、「天の大軍」が現れ、主なる神を讃美した(13節)。天使達は「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)と歌った。イエス・キリストは、主なる神に「栄光」を、地に「平和」をもたらされる。「平和」と訳されているεἰρήνη [eiréné]は、ヘブライ語のשָׁלוֹם [shalom]に当たるギリシア語である。それは、内面の平安、政治的な平和、経済的な繁栄に留まらず、主なる神とのあらゆる敵対的な関係が解消された和解の状態を意味した。栄光は主なる神に帰されるべきものである。自分が栄光を受けようとすると、人間は失敗する。栄光があるべき所にある時、人間に真の平和が訪れる。