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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 マタイによる福音書2章1~12節

聖書研究 マタイによる福音書2章1~12節(新共同訳 新約p.163)

(1) 占星術の学者達とエルサレムの人々(1~8節)

 イエス・キリストは、「ユダヤ人の王」として「ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(1節)。ベツレヘムダビデ王と深い関わりのある地であり(サムエル記上16章1節)、イエス・キリストダビデ王家に連なる真の王であることを印象付けている。
 この時、主なる神は、異邦人であった「占星術の学者たち」(原文ではμάγοι [magoi]という「ペルシアの祭司」を指す語が用いられている)の目を霊的に開かれた。そして、星という自然現象を通して彼らに「ユダヤ人の王」の誕生を示された。彼らは、贈り物を携えて、遠い異国の地からユダヤに向かった(2節)。そして、彼らを通してユダヤ人に救い主の誕生が知らされた。
 だが、イエス・キリストが「ユダヤ人の王」としてお生まれになったことは、当時ユダヤを支配していた「ヘロデ王」――紀元前37年にローマによってユダヤを支配する傀儡の王として任命され、紀元前4年に世を去るまで統治した――との衝突を引き起こすことになった。占星術の学者達が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を「拝みに来た」時、ヘロデは自分の王権に対する脅威を見なし、不安を抱いた(3節)。エルサレムの人々も、ヘロデの他に新しい王が出現したという知らせが、猜疑心が強く残忍な性格であったヘロデ――彼は自分の権力を脅かすという理由で妻や息子でさえ殺害している――に与える影響を恐れた(3節)。
 ヘロデは、占星術の学者達が語ったことがメシアの出現に関することであると思い、聖書に精通していた「民の祭司長たちや律法学者たち」にメシアが生まれる場所について問い質した(4節)。それに対し、彼らは、ミカ書5章1節の預言を根拠に(6節)、メシアはベツレヘムで生まれると答えた(5節)。とはいえ、彼らはイエス・キリストを礼拝するために学者達に付いて行くことはしなかった。
 ヘロデも、上辺では「行って、その子のことを調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」(8節)と柔らかに言って、占星術の学者達を送り出した。しかし、内心ではその子供の居場所が分かったら殺そうと企んでいた。ヘロデの言葉が偽りであったことは、その後の幼児虐殺の出来事によって明らかになる(16節)。
 救い主を慕い求める心がなければ、私達はイエス・キリストに出会うことが出来ない。律法学者は来るべきメシアに関して豊富な知識を持っていた。ヘロデ王はユダヤ人のために壮麗な神殿を建てた。にもかかわらず、王として来られたイエス・キリストを歓迎しなかった。後にイエス・キリストが言われたように、「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(マルコによる福音書10章31節)ことがある。

(2) 占星術の学者達の礼拝(9~12節)

 占星術の学者達は聖書に関して十分な知識があるわけではなかった。しかし、「東方でその方の星を見た」ことによって、彼らは救い主が生まれたことを知った。ところが、その星が途中で見えなくなった。彼らは、ユダヤ人の王であるならば、王宮で生まれたに違いないと考え、最初エルサレムに行った(1節)。そして、祭司長や律法学者を通してユダヤ人の王はベツレヘムで生まれるという知識を得た。
 その後、彼らは、ベツレヘムに向かう道中で「東方で見た星」を再び見つけ、星に導かれて、イエス・キリストがお生まれになった所に辿り着いた(9節)。彼らは非常に喜んだ(10節)。「喜びに溢れた」と訳されているギリシア語の原文(ἐχάρησαν χαρὰν μεγάλην σφόδρα [echarēsan charan megalēn sphodra])を直訳すると、「彼らは大いなる喜びを大いに喜んだ」となる。動詞と目的語において「喜び」という意味の語が、形容詞と副詞において「大いなる」という意味の語が繰り返されている。星に導かれて長い道のりをやって来た彼らは、遂に目的地に到り、非常に喜んだ。
 占星術の学者達は、ひれ伏して、幼子のイエス・キリストを拝み、「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)、彼らは、信仰の目をもって幼子イエス・キリストを見、ユダヤ人の真の王として心を尽くして最高の敬意を表した。そして、ローマによって任命された傀儡の王であるヘロデの所には戻らず、別の道を通って自分達の国に帰って行った(12節)。飢え渇いた心で救い主を切に探し求める人は、イエス・キリストに出会うことが出来る。