Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編38編1~11節

聖書の黙想と適用 詩編38編1~11節(新共同訳 旧約pp.870-871)

(1) 怒ってわたしを責めないでください(1~5節)

 ダビデは「疾病にかかった」(12節)ことによって全身に苦痛を与えられていた。「肉にはまともなところ」がなく、「骨にも安らぎ」がなかった(4節)。その中で、ダビデは、自分の苦痛について、彼が「過ちを犯した」ことに主なる神が「激しく憤られた」からであると悟った(4節)。「わたしの罪悪は頭を超えるほどになり/耐え難い重荷となっています」(5節)とダビデは告白する。彼自身も耐え難いほど、自分の考えや思いに罪が満ちていることをダビデは認めなければならなかった。それ故、彼は「主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください」(2節)と訴えた。
 主なる神は、その御手をもってご自身に逆らう者を打たれるが、ご自身の民にも悔い改めへと導くために懲らしめをお与えになる。全ては主なる神のご主権の下にあるという信仰があれば、私達は、自分と関わる全てのことにおいて主なる神の御手を感じることが出来る。そして、苦痛もまた、私達が自分の罪を悔い改め、主なる神の恵みに気付く契機となり得る。

(2) 嘆きもあなたには隠されていません(6~11節)

「負わされた傷は膿んで悪臭を放ち」(6節)、「腰はただれに覆われて」(8節)いたダビデは、苦痛によって気力が衰えていた。ダビデは「わたしは身を屈め、深くうなだれ/一日中、嘆きつつ歩き」(7節)と語り、自分の苦痛がとても大きいことを訴えた。また、彼は、体の痛みだけでなく、精神的にも、霊的にも苦しんでいた。「もう立てないほど打ち砕かれ/心は呻き、うなり声をあげるだけです」(9節)とダビデは主なる神に吐露する。彼は心が動転し、力もなくなり、目の光も失ってしまった(11節)。
 ダビデは、自分が今味わっている苦痛について、「わたしが愚かな行いをしたからです」(6節)ともう一度告白している。ダビデは、主なる神が、罪を忌み嫌われ、罪を決して放置されない方であることを知っていた。そして、自分が罪の故に主なる神から捨てられるのではないかという恐れを抱いていた。
 その一方で、ダビデは、激しい苦痛の中にあっても、「わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり/嘆きもあなたには隠されていません」(10節)と主なる神に向かって叫び続けた。ダビデは、主なる神が彼のことを全てご存知であられること、自分をこの苦痛と罪から救えるのは主なる神しかいないことを堅く信じていた。私達も、イエス・キリストの十字架の御前に跪き、主なる神の憐れみに縋って罪の赦しを求めよう。