Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編38編12~23節

聖書研究 詩編38編12~23節(新共同訳 旧約pp.871-872)

(1) 孤独の中に置かれたダビデ(12~15節)

 ダビデに与えられた苦痛は肉体的なものに留まらなかった。ダビデが「疾病にかか」ると、衰えた彼に見切りをつけて、「愛する者も友も避け」るようになった(12節)。彼は孤立し、独りになった。それだけでなく、ダビデは、彼の「命をねら」って、「罠を仕掛け」る敵に囲まれていた。彼らは、ダビデに災いが降りかかることを望み、「欺こう、破滅させよう」と絶えず企んでいた(13節)。彼を助ける者は誰もいなかった。かつてはダビデに会おうとする人々が後を絶たなかったのに、状況が悪くなると、皆途端に心変わりし、彼のもとを去って行った。信頼していた人々から背を向けられたダビデの心は、どれほど辛く、寂しかったことだろう。
 それでも、ダビデは自分を正当化する言葉を一切吐かなかった。言い返そうと思えば出来たかも知れないが、彼は、「聞くことができない者」、「口に抗議する力もない者」(15節)のようになり、自分で自分を救おうとはしなかった。敵の中傷や謀略に対して一切反論しなかったのは、問題の原因が自分自身の罪にあることを認めていたからである。自分が蒔いた種によって彼は主なる神から懲らしめを受けていた。自分の罪の故に苦境に追いやられた時、私達がすべきことは、自分の義を捨て、ただ主なる神を仰ぎ見ることである。

(2) わたしはなお、あなたを待ち望みます(16~23節)

 ダビデは主なる神に自分が置かれている状況を告げた。ダビデの敵は、彼の苦境を喜び、「強大になり」、「偽りを重ね」(20節)、「善意に悪意をもってこたえ」(21節)た。それに対し、主なる神に敵を裁いて下さるよう祈り求めた。「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ/御自身でわたしに答えてください」(16節)という祈りには、主なる神が必ず自分の祈りに答えて下さるというダビデの信仰が言い表されている。
 その一方で、ダビデは「わたしの足がよろめくことのないように/彼らがそれを喜んで尊大にふるまうことがないように」(17節)と願ったにもかかわらず、「今や、倒れそうになってい」(18節)ると主なる神に語る。というのは、「自分の罪悪を言い表そうとして/犯した過ちのゆえに苦悩し」(19節)たからである。19節は原文では「何故なら」を意味するヘブライ語(כִּי [ki])で始まる理由節になっている。ダビデは自分が主なる神の御前に犯した罪を重く受けとめていた。罪を悔い改めて立ち帰り、主なる神との契約関係を回復したいと彼は願った。
 ダビデは、苦痛の中で「主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ/すぐにわたしを助けてください」(22~23節)と主なる神に縋り、祈りを終えている。彼は主なる神を「わたしの救い」と呼んでいる。救いはただ主なる神から来る。ダビデは赦しと助けを求める自分の祈りに主なる神は必ず答えて下さると信じていた。