Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編40編12~18節

聖書の黙想と適用 詩編40編12~18節(新共同訳 旧約p.874)

(1) 主なる神の憐れみを求める(12~14節)

 ダビデは自分の置かれた苦境を解決出来るのは主なる神だけであることを知っていた。それ故、彼は「主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく/慈しみとまことによって/いつもわたしをお守りください」(12節)と祈り求めた。ヘブライ語の原文では、文頭に「あなた」という意味の人称代名詞אַתָּ֤ה [’at-tāh]があり、他でもない「主」に訴えていることが強調されている。ここでダビデは自分が主なる神の憐れみなしには生きていけない存在であることを言い表している。
 その上で、ダビデは、そのように祈る理由として、「悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕えられ/何も見えなくなりました」(13節)と述べている。13節はヘブライ語の原文では「何故なら」を意味する接続詞כִּי [ki]から始まっている。「悪」と訳されているヘブライ語רָע֡וֹת [rā-‘ō-wṯ]は、「悪」、「災い」(口語訳、新改訳)、「災難」を意味する。「罪」(口語訳「不義」、新改訳「咎」)と共に用いられていることから、ダビデ自身の罪によって生じた苦難であると理解することが出来る。
 無数の苦難が襲い、また自分の罪が「髪の毛よりも多」いことを思い知らされ、ダビデは自分の罪深さと無力さに「心挫け」た(13節)。自分ではどうすることも出来ない現実を前にして、彼は「主よ、走り寄ってわたしを救ってください。主よ、急いでわたしを助けてください」(14節)と主なる神に助けを求める以外にはなかった。

(2) あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場(15~18節)

 ダビデは、彼の「命を奪おうとねらっている者が/恥を受け、嘲られ」(15節)、彼を「災いに遭わせようと望む者が/侮られて退き」(15節)、彼に向かって「はやし立てる者が/恥を受けて破滅」(16節)するよう、主なる神に求めた。彼は、主なる神が世の主権者であると共に、ご自分の民の叫びに耳を傾けられる方であることを確信していた。それ故、彼を嘲って迫害する敵を主なる神が裁いて下さるよう祈ることが出来た。
 また、ダビデは「あなたを尋ね求める人が/あなたによって喜び祝い、楽しみ/御救いを愛する人が/主をあがめよといつも歌いますように」(17節)と祈った。「あなたを尋ね求める人」「御救いを愛する人」とは、主なる神の救いを求める人、主なる神と共に歩もうとする人、主なる神の御心を行おうとする人のことである。ダビデは、彼らが「主をあがめよといつも歌」うことが出来るよう、主なる神に願った。
 ダビデにとって、主なる神だけが「助け」であり、「逃れ場」であった(18節)。彼は、「貧しく身を屈め」るような状況の中で、「わたしのためにお計らいください」「わたしの神よ、速やかに来てください」と切に求めた(18節)。私達も、主なる神のご支配がこの世界に拡がり、主なる神に敵対する勢力が打ち負かされるよう、「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように」と祈らなければならない。