Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ローマの信徒への手紙10章14~21節

聖書の黙想と適用 ローマの信徒への手紙10章14~21節(新共同訳 新約pp.288-289)

「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」(14節)。

 パウロは福音伝道の必要性について論証する。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」が、呼び求めるためには、その名を知ること、その方を信じることが必要である。名を聞いたことがないのに、信じることは出来ない。それ故、パウロは、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(15節)というイザヤの預言を引用し(イザヤ書52章7節)、イエス・キリストの福音を伝える者の足は立派であると述べている。
 主なる神は先に聞いた人が福音を伝えることによって神の国が広がっていくようにされた。福音を聞いた者はそれを誇ることは出来ない。その人に相応しい資格があったから聞けたのではなく、主なる神が恵みによって伝えて下さったからである。勿論、パウロが聞くことを強調するのは、福音を聞いた者には信じる責任があるということを示すためである。
 一方、福音を伝える者がそうする理由は、主なる神の恵みによって召しを受けたからである。福音を先に聞いた者には、福音を聞いたことがなく、救いの恵みをまだ知らない人のところに行って、福音を宣べ伝える責任がある。救いの全過程を治めているのは、人間ではなく主なる神である。