Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙一5章17~25節

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙一5章17~25節(新共同訳 新約pp.388-389)

(1) 長老に関する教え(17~22節)

 長老はキリストの体である教会を建て上げるという重要な務めを主なる神から委ねられていた。それ故、パウロはテモテに「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです」(17節)と教えている。「報酬」と訳されているギリシア語τιμῆς [timēs]の原形τιμή [timé]には、「尊敬する」(口語訳、新改訳)、「大事にする」(3節)という意味と、「代価を払う」という意味がある。ここではどちらの解釈も可能である。即ち、「二倍の」(διπλῆς [diplēs])――新改訳では「二重に」――τιμήを受けるというのは、「尊敬」と「報酬」の両方を指すものと思われる。
 長老に対する尊敬は、心だけでなく、彼らの働きに対する報いとして表すことが求められる。働き人が報いを受けるのは当然のことである(ルカによる福音書10章7節)。長老の働きに報いないのは、「脱穀している牛に口籠をはめ」(18節、申命記25章4節)るようなものである。教会は長老の生活を支えることに責任を持ち、長老は主なる神の言葉を教えることにいよいよ励まなければならない。
 また、「長老に反対する訴え」(19節)は、早急に判断せず、慎重に取り扱う必要がある。というのは、信徒に動揺を与える可能性があるからである。パウロは「二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません」(19節)と述べている。これは律法で定められていることであり(申命記19章15節)、イエス・キリストが教えられたことでもある(マタイによる福音書18章15~17節)。その上で、慎重に訴えを吟味した結果、罪が明らかになった場合、「罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめ」(20節)るよう、パウロは命じた。他の人達が「恐れを抱」(20節)いて、罪を犯さないよう意識するためである。悔い改めるべき罪を放置するならば、教会はその罪を容認したことになる。
 パウロは、「神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で」、これらのことを「偏見を持たず」、「えこひいき」なしに行うよう、テモテに「厳かに命じ」た(21節)。そして、長老をはじめとする教会の指導者を選び、任命する――「手を置」く――際には、慎重に行うようテモテに助言した(22節、3章2~7節)。教会の指導者は、上辺で人を判断せず、そして公平でなければならない。ソロモンがダビデから王位を継承した時、主なる神に「民を正しく裁き、善と悪を判断することができる」ための「聞き分ける心」を願ったのも、そのためである(列王記上3章9節)。
 その一方で、パウロはテモテに「他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい」(22節)と警告している。「加わる」と訳されているギリシア語κοινωνέω [koinóneó]には、「関わりを持つ」(新改訳)、「分かち合う」という意味がある。教会の指導者は、不純な動機や意図をもって罪に加担させようとする人に利用されることなく、自らの潔白を保つ必要がある。

(2) テモテに対する助言(23~25節)

 パウロはテモテに「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい」(23節)と勧めた。テモテは、自分をきよく保とうとして、健康維持のためにぶとう酒を少量用いることさえ避け、水ばかり飲んでいたのかも知れない。確かに、教会の指導者にとって飲酒は注意を要するものである。しかし、パウロは、同労者の健康を気遣う思いから、ぶどう酒の飲用を勧めた。
 また、パウロは、「ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります」(24節)と語っている。隠れた場所での行いであっても、主なる神の御前には全てが明らかであり、人の目にもいつか明らかになる。時間が経てば、罪と悪は全て明るみに出る。「良い行い」(25節)も同様である。いつまでも「隠れたまま」(25節)であることはない。24節と25節で「明白」と訳されているギリシア語πρόδηλος [prodélos]は、全ての人の前ではっきりと証明された事実を意味する。安易に騙されてはならず、早急に判断せず、何事も慎重に見極めるよう、パウロはテモテを指導した。