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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙一6章11~21節

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙一6章11~21節(新共同訳 新約pp.389-390)

(1) 信仰の戦いを戦い抜く(11~16節)

 パウロはテモテを「神の人」(11節)と呼び、彼が「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れ」(12節)ることを願った。その戦いは、具体的には、異なる教え(3節)、高慢(4節)、「ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争い」(4~5節)、「無分別で有害なさまざまの欲望」(9節)などを避け、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求め」(11節)ることであった。パウロは「万物に命をお与えになる神の御前で」、また「ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で」(13節)、テモテに主から与えられた使命を忠実に果たし、「おちどなく、非難されないように、この掟を守」るよう命じた。
 キリスト者も、「神から召され」(12節)、この世に遣わされている「神の人」である。そして、「わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで」(14節)信仰の戦いが続く。しかし、この戦いはキリスト者が必ず勝利する戦いである。何故なら、主なる神は「祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方」(15~16節)だからである。主なる神が「定められた時にキリストを現してくださ」(15節)るまで、この方の御心を行い、欲や罪を警戒し、私達を惑わす勢力と勇敢に戦っていこう。

(2) 善を行い、喜んで分け与える(17〜21節)

 最後に、パウロはテモテに「この世で富んでいる人々」(17節)に富の問題について教えるよう命じると共に、「ゆだねられている」(20節)教えをしっかりと守るよう助言している。
 パウロは、教会の裕福な信徒が「不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置」(17節)くことを願った。主なる神から与えられている富を用いて、「善を行い、良い行いに富み、物惜しみせず、喜んで分け与える」(18節)時、彼らは「真の命を得るためにも未来に備えて自分のために堅固な基礎を築く」(19節)ことが出来る。善を行い、喜んで分け与えることは、永遠の命を得る未来のために私達が出来る最高の投資である。
 富は非常に強い力を持っている。私達の生き方は富の用い方に現れ、それによって検証される。富があることによって、この世で主なる神のご栄光を現すことが出来る一方で、信仰の内実が変質してしまう危険性もある。どの時代にもおいても誘惑は絶えないので、富を主なる神の御心に適う仕方で用いることは容易ではない。
 あらゆるものの主であられる神は、私達に必要なものを与えて下さる。そして、私達がご自分の豊かさの中で生きること、与えられた祝福を隣人と分かち合うことを喜ばれる。イエス・キリストも金持ちの議員に「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分け」る時、「天に富を積むことになる」と言われた(ルカによる福音書18章22節)。主なる神に依り頼み、主なる神に望みを置いて生きる時、私達は富に心を支配されずに生きる者となることが出来る。
 また、パウロはテモテに「その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしま」(21節)うという罠に陥らないよう警告した。そして、そのために自分に「ゆだねられているものを守り」、「俗悪な無駄話」を避けよう命じた(20節)。主なる神の言葉に堅く立ち、聖霊の導きと守りを受ける時、私達は口先だけの実践のない生活、尤もらしい言葉と論理で誤った方向に向かうことから守られる。