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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 箴言29章15~27節

聖書の黙想と適用 箴言29章15~27節(新共同訳 旧約pp.1029-1030)

(1) 山中伸弥博士の原点としての“VW”

 iPS細胞の研究によりノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥博士は、アメリカに留学した時、「大切なのはVWだ」という考えを教わったという。“VW”とは「ビジョン(Vision)」と「ハードワーク(Hard Work)」であった。山中博士は当時を振り返って、次のように述べている。

「ハードワークについては、わたしは誰にも負けないくらい一生懸命に働いていたという自負がありました。でも、ボブ[山中博士の留学先の研究所の所長: 引用者注]から『Shinya, what’s your vision?』と尋ねられたとき、『いい論文を書くため』とか『いい職につきたいから』と答えたところ『伸弥、それはビジョンじゃない。ゴールだ。本当のビジョンは何だ? どうして医者をやめてアメリカに来たんだ?』と言われて初めて、あ、自分が研究者になったのは論文を書くためではなかったんだと思い出しました」(渡辺まりか「『ビジョンだいじに』 ノーベル賞・山中教授の人生を変えた一言とは」『HRナビ』2015年4月16日 (http://hrnabi.com/2015/04/16/7006/ ; アクセス日: 2017年1月9日))。

 山中博士は、日本に帰国すると、「万能細胞を受精卵からではなく患者自身の皮膚や血液の細胞から作る」という目標を掲げ、それをiPS細胞の作成、そしてその医療への応用という形で実現した。山中博士の研究の根底には「今は治せない治らない病気を治せるようにしたい」という「幻」(vision)が常にあった。
 勿論、山中博士が身を置いている再生医療の分野では、いわゆる《STAP細胞》をめぐる騒動を見ても分かるように、生き馬の目を抜くような熾烈な業績争いが展開されている。だからこそ、山中博士は、自分の研究の出発点として、また最終的な目的として、この「幻」を常に心に留めておられるのではないか。

(2) 満たされない「達成感依存症」

 国内外の情勢は時々刻々と変化し、混迷の度を深めている。これから世界は、日本はどうなるのだろうか。地震津波、火山噴火、台風、旱魃などの自然災害は大きな不安材料である。危機的な財政状況も不安を増幅させている。こうした中、中高年も青少年も自分の将来に、また日本の将来に希望を持てなくなってきている。また、何のために、何を目標に生きたらよいのか、分からなくなってきている。
 どのような仕事であれ、組織であれ、それに携わる人に「幻」がなければ、成長や発展を余り期待出来ない。「幻」がなければ、生きる目的や希望も見失ってしまう。すると、私達は無気力になり、生活も乱れてくる。或いは、「幻」がないために、各人が「それぞれ自分の目に正しいとすることを行」(士師記21章25節)うようになると、争いや不満を生み出し、社会の分断や混乱が拡がっていく。日本の危機の根底には幻の欠如がある。
 こうした中、「休みなく次々と何かにチャレンジし、その達成感の中で、『自分はすばらしい!』という気持ちを味わいたいと思う人」が日本で増えていることを、立川福音自由教会の高橋秀典牧師は指摘する。その上で、高橋牧師は「私たちは『夢』を持つにしても、それが個人的な達成感を求めるものである限り、『もっと、もっと』という依存症の渇きから自由になることはできない」ばかりか、「それに付き合わされる人は、『何で、私はあの人の『夢』に振り回される必要があるのか?』と疑問を感じる」と述べている(高橋秀典『お金と信仰』東京: 地引網出版, 2014年, p.156)。「達成感依存症」とは、山中博士の恩師の言葉を借りるならば、“vision”がない中で各人が次々に“goal”を設定しようとすることと言える。では、何故「達成感依存症」は満たされないのだろうか。

(3) 幻と聖書

 ソロモンは「幻がなければ、民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(箴言29章18節)と語った。「幻」と訳されているヘブライ語(חָ֭זוֹן [ḥā-zō-wn])は、「幻」、「啓示」、「預言」(口語訳)を意味する。ここでは預言者や知恵者などを通して与えられた主なる神の言葉を指すと考えられる。また、新共同訳で「教え」と訳されているヘブライ語(תּוֹרָה [torah])は、口語訳や新改訳では「律法」と訳されている。旧約聖書において「律法」は、聖書全体を指す語としてしばしば用いられる。
 ここでソロモンが語っているのは、単に「夢を持ちましょう」という意味ではない。前半と後半は対句になっており、同じことを言おうとしている。即ち、主なる神の言葉を聞かない民は、自己中心に生き、恣に振る舞うけれども、主なる神の言葉を聞いて、守る者には祝福がある。
 高橋牧師は、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説、イエス・キリストとの出会いによる徴税人ザアカイの回心を引き合いに出し、「神が与えてくださる『夢』を持つ」時、私達は「お金よりもさらに『根深い偶像』から自由になる」と説く(同上 p.164)。「『神と人』、『人と人』、『人と被造物』との和解をもたら」し、「世界を神の平和で満たす」というイエス・キリストの《夢》を自分の《夢》としたことによって、ザアカイは、その「実現のために自分の財産を分ち合うことができる者へと瞬時に変えられた」のである(同上 p.162)。
 主なる神は、聖書の言葉を通して私達に生きる目的と生き方を示して下さる。そして、イエス・キリストにあって私達に希望と志を与えて下さる。主なる神は、歴史を始め、歴史を支配し、歴史を完成に到らせる方である。私達は山中博士のような画期的な業績を残すことは出来ないかも知れない。しかし、主なる神のご計画という壮大な「幻」の一コマを演じる光栄を与えられている。