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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二2章1~13節

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二2章1~13節(新共同訳 新約p.392)

(1) キリスト・イエスにおける恵みによって強くなる

「あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい」(1節)とパウロは言う。パウロは、「律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いもの」(ローマの信徒への手紙7章12節)であると信じて生きてきた。しかし、律法を忠実に行おうとすればするほど、「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(同19節)自分の惨めさ、罪深さを知らされた。そのような中で、律法を完全に成就されたイエス・キリストと出会った。そして、私達を救い、生かすイエス・キリストの恵みを知らされた。その恵みに満たされて、パウロイエス・キリストに喜んで従う「キリスト・イエスの立派な兵士」(3節)へと変えられた。
 イエス・キリストの兵士は、神の国(支配)のために戦う兵士である。しかし、私達は自分の力でその戦いに勝利することは出来ない。この戦いに勝つことは、主なる神がイエス・キリストを通して与えて下さる恵みによる。王であるイエス・キリストが、兵士である私達を養い、必要を満たして下さる。イエス・キリストは「常に真実であられる」(13節)。イエス・キリストに全幅の信頼を置き、いつも主なる神の御心に聞き従って歩む時、私達は「キリストと共に生き」(11節)、イエス・キリストのための戦いに勝利することが出来る。

(2) 神の言葉は繋がれていない

 パウロはテモテに「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪者のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれてはいません」(9節)と語った。この時、パウロは牢の中にいて、行動の自由を奪われていた。また、牢に入れられたパウロを顧みるどころか、寧ろ恥と考え、彼から離れ去った人が大勢いたことは(1章15節)、パウロを深く悲しませたことだろう。イエス・キリストの兵士は、イエス・キリストへの信仰の故に苦しみや悲しみを味わうことがある。
 しかし、「神の言葉」であられるイエス・キリストは、状況にかかわらず生きて働いておられる。心が弱くなり、疑いが生じた時、イエス・キリストをいつも繰り返し思い起こす必要がある(8節)。イエス・キリストは「ダビデの子孫で、死者の中から復活された」(9節)方である。この方が「すべてのことを理解できるようにしてくださる」(7節)。主なる神の言葉を通して、私達は主なる神から命をいただき、力をいただき、行くべき道、為すべきことを知ることが出来る。