Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二2章1~13節

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二2章1~13節(新共同訳 新約p.392)

(1) キリスト・イエスの兵士として(1~8節)

 パウロは、テモテを「わたしの子」(1節)と呼び、彼が与えられた務めを忠実に果たせるよう、「キリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい」(1節)と助言した。「強くなりなさい」と訳されているギリシア語(ἐνδυναμοῦ [endynamou])は、「権能を賦与される」「力を受ける」という意味で、主なる神から力を受けることを意味した。イエス・キリストだけが与えることの出来る恵みを受け、それに満たされる時、私達は委託された任務を果たすことが出来る。
 そして、イエス・キリストの恵みによって強くされた時、「ほかの人々」にも福音を「教えることのできる」者とされる(2節)。「ゆだねなさい」(2節)と訳されているギリシア語(παράθου [parathou])は、1章12節の「ゆだねられているもの」に当たる語と語幹が同じである。即ち、自分が委ねられた福音を他の人に委ねることによって福音は広がり続けていく。
 また、パウロは、3種類の人々を例に挙げ、テモテに自分と「共に苦しみを忍」(3節)ぶよう求めている。
 第一の例は兵士である。「兵役に服している者」は「自分を召集した者」の命じることに忠実に従い、訓練を受け、勝利のために死力を尽くして戦う(4節)。「煩わされず」と訳されているギリシア語(ἐμπλέκεται [empleketai])は、受動態で、「掛かり合っている」(新改訳)、「縛られるようになる」、「巻き込まれるようになる」という意味である。「キリスト・イエスの立派な兵士」となるためには、「生計を立てるための仕事」(新共同訳)、「日常生活」(新改訳、口語訳)に気を取られて、戦いに集中出来ないということがあってはならない。
 第二の例は、「競技に参加する者」である。競技者は「規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができ」ない(5節)。主なる神の言葉に忠実に従い、力を尽くして最後まで戦う時、イエス・キリストの働き人は勝利の栄冠を得ることが出来る。
 第三の例は農夫である。「労苦している農夫」は、良い実を豊かに収穫することが出来る(6節)。同様に、イエス・キリストの働き人も、福音のために労苦する時、豊かな実を刈り取ることが出来る。「労苦している」と訳されているギリシア語(κοπιάω [kopiaó])は、能動的で積極的な努力を指す語である。パウロ自身も福音宣教のために多くの苦しみを味わったが、その分豊かな収穫があった。
 これらのことを受けて、パウロはテモテに、「キリスト・イエスの立派な兵士」になるためにどのような姿勢と労苦が必要か、主が与えて下さる知恵によって「よく考えて」みるよう教えた(7節)。
 その際、パウロはテモテに「イエス・キリストのことを思い起こしなさい」(8節)と命じている。「思い起こしなさい」と訳されているギリシア語の動詞(μνημόνευε [mnēmoneue])は、現在時制で、絶えず「覚える」「記憶する」という意味である。イエス・キリストは「ダビデの子孫で、死者の中から復活された」(8節)方である。「復活された」と訳されているギリシア語(ἐγηγερμένον [egēgermenon])の原形ἐγείρω [egeiró]は、「起きる」を意味するが、イエス・キリストに対して用いられている場合には「復活する」を表す。ἐγηγερμένονは受動態なので、「起こされた」と訳すことが出来る。また、明示されてはいないけれども、起こした主体は主なる神である(神的受動態)。そして、完了時制なので、以前にイエス・キリストは復活され、今も生きておられることが表されている。そのイエス・キリストにあって苦しみに耐え、主に忠実に仕えていくよう、パウロはテモテを励ました。

(2) キリストは常に真実であられる(9~13節)

 イエス・キリストの福音の故に、パウロは犯罪者のように牢に繋がれていた(9節、1章8節、16節)。しかし、「神の言葉はつながれていません」(9節)とパウロは言う。実際、パウロが投獄されていた時にも福音は前進していた(フィリピの信徒への手紙1章12節)。パウロが苦しみを耐え忍ぶことが出来たのは、主なる神の言葉の力によって「キリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得る」(10節)人が起こされることを信じ、願っていたからである。
 パウロはテモテに、イエス・キリストの兵士として、イエス・キリストと共に死に、イエス・キリストと共に生きることを教えた(11節)。そして、苦しみに「耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる」(12節)と励ました。その一方で「キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる』(12節)と警告した(マタイによる福音書10章33節、ルカによる福音書12章9節)。「キリストは常に真実であられる」(13節)ので、私達を真実に愛し、顧みて下さる。だから、私達もイエス・キリストの兵士としてイエス・キリストに忠実に仕えなければならない。