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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書のメッセージ ルカによる福音書24章13~35節

聖書のメッセージ ルカによる福音書24章13~35節(新共同訳 新約pp.160-161)

 今日の聖書箇所には、復活されたイエス・キリストが2人の弟子に現れたことが記されている。この2人の弟子のうちの1人はクレオパという名前であった(18節)。
 クレオパは、暗い顔をして(17節)、もう1人の弟子と共にエマオという村に向かっていた(13節)。その時、復活されたイエス・キリストが彼らに近づき、一緒に歩き始められた(15節)。しかし、「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(16節)。
 イエス・キリストは、2人に「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」(17節)と尋ねた。それに対し、彼らはこの数日の間にエルサレムで起こったことを語った。彼らは、イエス・キリストイスラエルローマ帝国から解放してくれるのではないかという望みを抱き、弟子になった(21節)。ところが、エルサレム神殿の祭司長達や最高法院の議員達は、イエス・キリストを死刑にするため、ローマ帝国の総督ピラトに引き渡し、十字架につけてしまった(20節)。そして、仲間の婦人達から復活の知らせを聞いても、それを信じることが出来なかった(22~24節)。2人は絶望と悲しみの中でエルサレムを離れた。
 2人が話し終わると、それまで黙っていたイエス・キリストは、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(25~26節)と言われた。そして、聖書全体がご自分について書かれていることを説明された(27節)。ユダヤ人であった彼らは、幼少の頃から聖書の話を聞いてきた。しかし、イエス・キリストの説き明かしを聞き、聖書の言葉が改めて彼らの心に迫ってきた。彼らの心は熱くなった(32節)。
 イエス・キリストの話を聞いているうちに、目指す村に近づいた。イエス・キリストはなおも先に行こうとされたが(28節)、2人は一緒に泊まるようイエス・キリストを引き止め(29節)、食事を共にした(30節)。イエス・キリストは、過越の食事の時にされたように(22章19節)、パンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった(30節)。すると、2人の目は開け、その人がイエス・キリストであることに漸く気が付いた(31節)。イエス・キリストの姿は見えなくなった。しかし、イエス・キリストが今も生きておられ、自分達と共におられるという確信を彼らは与えられた。2人は他の弟子達が留まっていたエルサレムにすぐに戻った(33節)。
 天の父は私達のもとにもイエス・キリストの霊であられる聖霊を遣わして下さった。この2人と共に歩まれたイエス・キリストは、聖霊において私達とも共におられる。聖霊イエス・キリストが話して下さったことを悉く思い起こさせて下さる(ヨハネによる福音書14章26節)。
 私達も、主が目を開いて下さらなければ、傍におられるイエス・キリストに気付くことも、聖書を理解することも出来ない「物分かりが悪く、心が鈍」い者である。私達の聖書の読み方が独り善がりにならないためには、聖霊を通してイエス・キリストの導きと助けをいただく必要がある。私達もイエス・キリストに聞き、イエス・キリストから聖書を教えていただこう。その時、失意や悲しみの中にあっても、イエス・キリストから信仰と希望をいただくことが出来る。