Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二4章1~8節

聖書の黙想と適用 テモテへの手紙二4章1~8節(新共同訳 新約pp.394-395)

(1) 御言葉を宣べ伝えなさい(1~2節)

 パウロは、主なる神の御前で、また「生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で」(1節)、テモテに「折が良くても悪くても」「御言葉を宣べ伝えなさい」と厳かに命じた(2節)。御言葉を宣べ伝えることは、選択肢の一つではなく、主なる神とイエス・キリストから与えられた命令である。教会は「とがめ、戒め、励まし」、「忍耐強く、十分に教える」務めのために労苦を惜しんではならない。イエス・キリストを主と信じる者から御言葉を聴く時、その人は主なる神の永遠の刑罰を免れて命を得ることが出来る。

(2) 自分の務めを果たしなさい(3~5節)

 主なる神とイエス・キリストの命令に従って御言葉を宣べ伝えても、この世の人々はそれを受け入れないことがある。罪ある人間は「健全な教え」よりも「自分に都合の良いこと」を語ってくれる「教師たち」を好み(3節)、「真理から耳を背け」(4節)ることに向かい易いからである。しかし、真理から離れた「作り話」には真の救いはない。それ故、パウロはテモテに、「どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び」、御言葉を伝えるという「自分の務めを果た」さなければならないと教えた(5節)。教会は、御言葉に堅く立ち、迫害と謗りの中にあっても、御言葉を宣べ伝える使命をやめてはいけない。イエス・キリストの福音だけが救いであり、望みだからである。

(3) 決められた道を走りとおし(6~8節)

 年老いたパウロは「世を去る」(6節)時を目の前にしていた。しかし、迫り来る死に対して恐れ、戸惑うことはなかった。彼は、死が全ての終わりではなく、人生の一つの過程であると信じていたので、それを毅然と受け入れることが出来た。パウロは「戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜」(7節)いた。死を前にして、彼は喜びと望みの中で「正しい審判者である主」から「義の栄冠を受ける」ことを期待した(8節)。そして、この希望は、パウロだけでなく、「主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも」(8節)、主が授けて下さるものである。教会は、その希望をもって「折が良くても悪くても」御言葉を宣べ伝え、主なる神とイエス・キリストから与えられた使命を忠実に果たさなければならない。