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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書のメッセージ マルコによる福音書15章34節

香住ヶ丘バプテスト教会 子どもメッセージ 2014年4月13日
聖書箇所: マルコによる福音書15章34節

 今日から1週間は受難週です。イエス・キリストが十字架で苦しみを受けられたことを覚えて過ごします。
 十字架につけられる何日か前、イエス・キリストエルサレムに入られると、イスラエルの人々は大喜びで迎え入れました。それまでイエス・キリストは、病気の人を癒したり、悪霊を追い出すなど、力ある業を沢山行われました。だから、人々はイエス・キリストを、自分達の苦しい生活を何とかしてくれる救い主に違いないと期待しました。
 ところが、イエス・キリストは捕らえられ、十字架につけられてしまいました。しかも、十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それを聞いた人々の多くは「こんな奴が救い主であるわけがない」とがっかりしたに違いありません。にもかかわらず、この福音書を書いたマルコは、イエス・キリストがそのように言われたことを隠そうとはしませんでした。どうしてでしょうか。この叫びこそ、イエス・キリストが真の救い主であられることをはっきりと示しているからです。
 天の父は正しい御方であられます。だから、私達のどんな小さな罪も大目に見ることはありません。私達が思っていること、行っていることの多くは人の目から隠されています。しかし、天の父は私達の全てをご存知です。だから、天の父が「こいつはどうしようもない奴だ」と私達に見切りをつけたとしても、それは何ら不思議ではありません。
 にもかかわらず、天の父は私達をお見捨てにはなりませんでした。そのことを示されたのがイエス・キリストの十字架です。イエス・キリストは、一つの罪も犯されることはなく、天の父の御心にいつも従われました。それなのに、天の父は私達の罪のためにイエス・キリストを十字架で死に渡されました。私達が受けるべき天の父からの罰を、イエス・キリストは代わりに引き受けて下さいました。そして、イエス・キリストの十字架の故に私達の罪は赦されました。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。私達もそのように叫びたくなることがあります。祈っても全く聞かれているようには見えないことがあります。天の父の愛が分からなくなることがあります。しかし、イエス・キリストの十字架のもとに留まり続けるならば、どんなに辛いことがあろうと、どんなに苦しいことがあろうと、私達は天の父に繋がっています。そのことを信じて、この一週間も歩んでいきましょう。

祈り
 愛する天の父よ、御子イエス・キリストは、私達の罪のために苦しみを受け、十字架で私達の代わりに罰を受けて下さいました。イエス・キリストが十字架で見せて下さったあなたの愛に心から感謝致します。あなたの御手に私達の人生の一つ一つを委ねていくことが出来ますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。