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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章1~14節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章1~14節(新共同訳 新約pp.102-103)

(1) 謙った王イエス・キリスト(1~7節)

 ローマ皇帝アウグストゥスが税金の徴収と徴兵を目的として住民登録を命じた時(1節)、イエス・キリストは属州ユダヤの町ベツレヘムでお生まれになった。通常は、男子だけが本籍のある故郷に行けばよかったが、ヨセフは妊娠中のマリアと共に「ガリラヤの町ナザレ」からベツレヘムに向かった(4節)。そして、ベツレヘムでマリアはイエス・キリストを出産した。これは主なる神の摂理であった。ベツレヘムは「ダビデの町」(4節)で、「イスラエルを治める者」はこの町で生まれると旧約の時代に預言されていた(ミカ書5章1節)。
 とはいえ、イエス・キリストはみすぼらしい姿でお生まれになった。ヨセフとマリアは宿屋に泊まることが出来なかったため、イエス・キリストは家畜の中に紛れてお生まれになり、飼い葉桶に寝かされた(7節)。このような場所に救い主が生まれることなど、普通誰も想像することが出来ない。このことは、イエス・キリストが王としてどのように救いを成し、神の国を回復されるかを暗示している。イエス・キリストは、主なる神の独り子でありながら人となられ、人間のためにご自身を差し出される謙った王としてこの世に来られた。

(2) 羊飼いに告げられた福音(8~14節)

 イエス・キリストの誕生の知らせを最初に伝えられたのは、ヘロデ王アウグストゥス帝のようなこの世の有力者、或いはエルサレム神殿の大祭司のような宗教指導者ではなかった。イスラエルの貧しい羊飼いであった。「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)彼らのところに主の天使が現れ、「民全体に与えられる大きな喜び」(10節)、即ち福音を告げた。それは「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(11節)という内容であった。「民全体」には異邦人も含まれる。
 また、イエス・キリストは「救い主」であられるだけでなく、「主」(11節)でもあられた。「主」とは神に対する特別な呼称である。この世の「主」は、当時のローマ皇帝アウグストゥスではなく、イエス・キリストである。そして、「主」であられる方が、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(12節)であることは、人間を救うために主なる神が卑しい姿をとってこの世に来られたという福音のしるしであった。
 この時、「天の大軍」が現れ、その知らせを伝えた天使と共に「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)と主なる神を讃美した。イエス・キリストの誕生は、主なる神の栄光を現し、この地に平和をもたらす出来事であった。イエス・キリストを通して、罪人を救われる主なる神の愛と恵みと憐れみ、そして罪を裁かれる聖さと正義が最も明らかに、最も豊かに現された。また、ここで言われている「平和」は、旧約の時代に語られた神の国の平和を意味した。イエス・キリストは、「御心に適う人」、即ち神の国に入る者がその平和をこの世に生きながら味わうことが出来るようにされた。