Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Paul D. Hanson Isaiah 40-66

Paul D. Hanson Isaiah 40-66
【関心・疑問】

【論文名】
イザヤ書六六・一-二四 神が顧みる人々

【著者名】
Paul D. Hanson (北 博訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Isaiah 40-66, Interpretation, A Bible Commentary for Teaching and Preaching, Louisville: John Knox Press, 1995 (『イザヤ書40-66章』現代聖書注解, 東京: 日本基督教団出版局, 1998年)

【本文の構成】

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 真正の生の要石(かなめいし)である真実の礼拝は、適切な理解が鍵となる。けばけばしい偶像礼拝の形であれ儀式的パフォーマンスの形であれ、偽りの礼拝は歪んだ理解を含んでいる。(中略)人間にとって、自分達の手になる儀式によって神をごまかして自分達の心が清いと信じさせることができると考えることは、馬鹿げている。したがって六六章が、すべての人間的瑣末事項を越えた礼拝という主題を提示することによってその主題を導入するのは、なんとふさわしいことであろうか。(邦訳p.370)

 神が人間の贈り物に依存しているという、異教徒の祭儀の礼拝の根底となっている当然の前提は退けられる。エジプトやバビロンにおいて、神殿は神々に住居を提供するために建築された。食物や飲み物は、神々の飢えと渇きを満たすために捧げられた。対照的に、イスラエルの神はなんの物質的な献げ物も必要としない。物質世界を満たすすべてのものは、神自身の手になるものなのである。神がこの世の事物のなんらかの部分を必要としているかも知れないと考えることは、物事のひどく歪んだ考え方を暴露している。(邦訳p.371)

 それでは、礼拝の適切な目的とは何か。二節の後半は、この問いに答えている。神が求めているのは、人間との関係性、欺瞞や操作を免れた、誠実で開かれた関係性である。したがって神の主導を受容する人は、清い心、そして導きと交わりへの深く切なる願いによって性格づけられた人なのである。(邦訳p.371)

【コメント】
 ハンソンによれば、偽りの礼拝は主なる神に対する歪んだ認識から生まれる。主なる神は人間の献げ物に依存する方ではない。物質世界を創造された主なる神に足りないものなどない。主なる神が求めておられるのは私達の心である。それ故、畏れや従順のない献げ物を憎まれる。私達は主なる神の恵みなしには生きられないという貧しく謙遜な心で、畏れをもって主なる神に礼拝を献げなければならない。