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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章15~24節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書2章15~24節(新共同訳 新約p.103)

(1) 羊飼い達の訪問と証言(15〜20節)

 羊飼い達は、天使が去ると、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合い(15節)、急いでベツレヘムに向かった(16節)。「急いで行って」という記述は、彼らが天使の言葉を信じ、期待に胸を膨らませて、喜んで聞き従ったことを示している。そして、飼い葉桶に寝ておられる乳飲み子を見つけ(16節)、天使の言葉が真実であることを知った。
 羊飼い達はこの幼子について聞いたことを人々に知らせた(17節)。それを聞いた人々は皆不思議に思った(18節)。しかし、マリアは彼らがイエス・キリストについて伝えたことを心に留め、深く思いを巡らせた(19節)。羊飼い達の話を聞いて、彼女は、自分が経験した出来事と共に、イエス・キリストの誕生が主なる神の救いの計画の中にあることを改めて確認出来たに違いない。
 羊飼い達は自分が見聞きしたことの故に主なる神を崇め、讃美した(20節)。イエス・キリストの誕生は主なる神の栄光を現し、羊飼い達は讃美によって主なる神に栄光を帰した。天の大軍による讃美と羊飼いによる讃美が天と地に響き渡った。

(2) 律法の下にお生まれになったイエス・キリスト(21~24節)

 幼子は、律法の規定に従って生まれて8日目に割礼を受け(レビ記12章3節)、「イエス」と名付けられた(21節)。これは、天使がマリアに受胎告知をした時に伝えた名前で(1章31節)、ヨセフとマリアはそれに従った。聖書において名前はその人の本質を反映するものである。イエスという名前には「主は救い」という意味が込められている。主なる神がこの世に来て、救いをもたらすというイエス・キリストの来臨の目的をこの名前は示している。
 救い主(キリスト)であられるイエスは、神の国の王としてご自分の民を救い、神の国に入れるようにして下さった。イエス・キリストは「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ」(フィリピの信徒への手紙2章7節)た。そして、主なる神に敵対して生きている罪人のために十字架で贖いの死を遂げられた。そのことによって罪人も救いの希望を持つことが出来るようになった。ただイエス・キリストだけが人間を救うことの出来る方である。
 それから、ヨセフとマリアは「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎ」ると、イエス・キリストを主に献げる儀式を行った(22節)。律法によると、幼子の割礼を終えた後、産婦は33日間清めの期間を持った(レビ記12章4節)。そして、初子(長子)を主なる神に献げた(出エジプト記13章2節、12節、15節)。また、そこで産婦であるマリアは出血の汚れの清めのために贖罪の献げ物もしている(24節、レビ記12章6節、8節)。こうしてイエス・キリストは律法の通りに聖別された(23節)。
 福音書記者ルカは、この出来事を記すことによって、イエス・キリストが生まれた時から全ての律法を遵守する者として歩まれたことを伝えている。私達は律法が求める義を完全に成し遂げることは出来ない。だからこそ、イエス・キリストは律法の下にいる人間としてお生まれになった(ガラテヤの信徒への手紙4章4節)。律法の下に生まれてこそ、律法の下にいる者を救うことが出来るからである。
 イエス・キリストは生まれた時から律法を完全に守られることによって完全な義を成就された。完全に聖い方であられるからこそ、罪人の代わりに十字架につけられ、その罪を贖うことが出来た。聖さは主なる神の御前で贖い主として立つための必須条件である。イエス・キリストの生涯全体を通して豊かに現されている主なる神の愛と憐れみと恵みを、私達は讃美せずにはいられない。