Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ルカによる福音書3章10~20節

聖書研究 ルカによる福音書3章10~20節(新共同訳 新約pp.105-106)

(1) では、わたしたちはどうすればよいのですか(10~14節)

 主なる神に喜ばれる生き方をしたいと願う人は、主なる神の言葉を聞いた時、自分が具体的に何をしなければならないかに関心を持つ。悔い改めを促された群衆は、バプテスマのヨハネに「では、わたしたちはどうすればよいのですか」(10節)と尋ねた。五旬祭にペトロの宣教を聞いた人々も同じ質問をしている(使徒言行録2章37節)。彼らは悔い改めてイエス・キリストの御名によってバプテスマを受け、新しい人生を始めた(同41~42節)。
 ヨハネは、まず「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」(11節)と答えた。「悔い改めにふさわしい実」(8節)は、貧しい者を顧みることを含んでいる。この勧告は旧約の預言を背景としている(イザヤ書58章7節、エゼキエル書18章7節)。イエス・キリストも、ルカによる福音書において分かち合いの実践を強調されている(12章33節、14章12~14節、18章22節)。これは、隣人を自分と関係のない存在ではなく、愛の対象と見なして初めて可能になる行為である。
「洗礼を受けるために」やって来た徴税人も同じように尋ねた(12節)。ヨハネは、彼らが職務を遂行する際、「規定以上のものは取り立てるな」と答えた(13節)。規定以上のものを取り立てて富を蓄えることは、当時徴税人が普通にやっていたことであった。そのため彼らはユダヤ人の間で罪人や異邦人と同等に扱われ(5章30節、マタイによる福音書9章10~11節、18章17節)、法廷の証人になることも出来なかった。ヨハネは、徴税人という職業自体は認めたが、それに伴う不正行為は認めなかった。不正が蔓延る中でヨハネの勧めに従うことには、大きな勇気と決断が必要だっただろう。
 兵士も同じ質問をした。ヨハネは彼らに「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と教えた(14節)。これらは彼らが頻繁に犯した罪であった。ここでもヨハネは、兵士という職業自体は認めつつも、その職権を濫用して罪を犯すことを問題視した。主なる神との関係が新しくなれば、隣人との関係も変わる。

(2) 聖霊と火によるバプテスマ(15~20節)

 民衆はヨハネを見て、「もしかしたら彼がメシアではないか」(15節)と思い始めた。それに対し、ヨハネは、自分の働きとやがて来られるメシアの働きを比較し、自分は「水で洗礼を授け」ているけれども、やがて来られる方は「聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と返答した。また、その方は自分よりも「優れた方」であり、「その方の履物のひもを解く値打ちもない」と述べている(16節)。
 その上で、ヨハネは、やがて来られるメシアが、「手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(17節)と警告する。これはヨハネがメシアの到来によって救いと裁きが同時に起こると理解していたことを示している。麦は救いを受ける民を、殻は裁きの火に投げ込まれて滅ぶ民を表す。
 ヨハネの期待とは異なり、聖霊と火によるバプテスマは、イエス・キリストの公生涯において授けられることはなかった。しかし、イエス・キリストは弟子達に、ご自身の昇天後、彼らが間もなく聖霊によるバプテスマを受けることに言及された(使徒言行録1章5節、11章16節)。イエス・キリストの言葉通り、五旬祭の日に聖霊によるバプテスマが彼らに授けられた(同2章1~4節)。
 ヨハネは「ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた」(18節)が、その後「領主ヘロデ」(19節)によって投獄された。「領主ヘロデ」とは「ガリラヤの領主」(1節)ヘロデ・アンティパスのことである。ヨハネは、ヘロデが自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことを非難した(19節、マタイによる福音書14章3~4節、マルコによる福音書6章17~18節)。兄弟の妻を娶ることは律法で厳しく禁じられていたからである(レビ記18章16節、20章21節)。ヨハネはその他にもヘロデが「行ったあらゆる悪事」(19節)を叱責した。それに対し、ヘロデは、罪を悔い改めるどころか、「それまでの悪事」の上に「ヨハネを労を閉じ込め」るという「もう一つの悪事」を加えた(20節)。後にヘロデは、ヘロディアの娘の要求を受けて、ヨハネを殺すという罪も加えている(9章9節、マタイによる福音書14章6~11節、マルコによる福音書6章21~28節)。