Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ルカによる福音書5章12~26節

聖書研究 ルカによる福音書5章12~26節(新共同訳 新約pp.110-111)

(1) 重い皮膚病の人の癒し(12~16節)

 イエス・キリスト神の国の福音を宣べ伝えるために町々を巡回されていた時(4章43節)、或る町で「全身重い皮膚病にかかった人」がイエス・キリストを見た。そして、イエス・キリストの御前にひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った(12節)。律法によれば、重い皮膚病の患者は、家庭と共同体と神殿から隔離され、孤独の中で生活しなければならなかった(レビ記13章45~46節、民数記12章14節)。にもかかわらず、彼はイエス・キリストのもとにやって来た。イエス・キリストはどのような病でも癒すことの出来る方であると信じたからである。そして、「御心ならば」と述べているように、彼が願ったことは、主なる神の御心と関係なく自分がきよめられることではなかった。
 それに対し、イエス・キリストは、他の病人を癒される時に「その一人一人に手を置」かれたように(4章40節)、「手を差し伸べてその人に触れ」た(13節)。そして、「よろしい。清くなれ」(13節)と言われた。新共同訳で「よろしい」と訳されているギリシア語の原文(θέλω [thelō])は、直訳すると「私は意志する」である。口語訳では「そうしてあげよう」、新改訳では「わたしの心だ」と訳されている。イエス・キリストはこの人の信仰を尊く思われた。悪霊や高い熱が出て行ったように、重い皮膚病もイエス・キリストの言葉によって忽ち去った(13節)。皮膚病の人が清くなることは、福音の告知でもあった(7章22節、マタイによる福音書11章5節)。
 その一方で、イエス・キリストは、彼に、清められたことを「だれにも話してはならない」(14節)と厳しくお命じになった。これはご自分の働きに対する誤解を防ぐためであった。その上で、律法に基づいて「ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが命じたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」(14節)と言われた(レビ記14章2節10~20節)。こうしてイエス・キリストは彼を家庭と共同体に復帰させられた。
 イエス・キリストの力ある御業についての噂が広まると、更に多くの人がイエス・キリストのもとに押し寄せるようになった。「集まって来た」と訳されているギリシア語の動詞(συνήρχοντο [synērchonto])は、未完了時制で記されているので、このような出来事が頻繁にあったことが分かる。彼らは「教えを聞いたり病気をいやしていただいたりする」ことを願った。
 しかし、人々が歓呼する時、イエス・キリストは「人里離れた所に退いて祈」られた(16節)。福音を宣べ伝えるという主なる神から与えられた使命を果たすためには、主なる神との親しい交わりを持つことが何にも優って必要だったからである(1節、4章18~19節、43~44節)。

(2) 中風の人の罪の赦しと癒し(17~26節)

 4人の男が中風を患っている人を床に乗せて、イエス・キリストのもとに連れて行こうとした(18節、マルコによる福音書2章3節)。しかし、群衆に阻まれて、イエス・キリストに近づくことが出来なかった(18節)。そのため、彼らは、「屋根に上って瓦をはがし」、中風の人をイエス・キリストの前につり降ろした(19節)。それに対し、イエス・キリストは、彼に「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた(20節)。
 イエス・キリストがこの場で罪の赦しを宣言されたことは、非常に挑戦的なことであった。「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」やって来た「ファリサイ派の人々と律法の教師たち」がそこに居合わせていたからである(17節)。彼らは「神を冒瀆するこの男は何者だ」と心の中で考えた(21節)。彼らは、「罪を赦すことができる」のは主なる神だけであると考えていたが、イエス・キリストを主なる神とは信じていなかったからである。イエス・キリストは彼らに「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」(23節)と問われた。
 その上で、中風の人に「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。すると、彼は「すぐさま皆の前で立ち上が」(25節)った。このことはイエス・キリストが「人の子」として「地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせ」るものであった(24節)。この驚くべき御業によって人々は「大変驚き、神を賛美し」(26節)た。イエス・キリストの罪の赦しと癒しは、主なる神への讃美に私達を導く。