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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 マタイによる福音書13章44~50節

聖書の黙想と適用 マタイによる福音書13章44~50節(新共同訳 新約p.26)

(1) 宝が隠されている畑――聖書

 教会の附属幼稚園のブログに、先生と園児の次のような会話が載っていた。

今日の朝、園庭で、年少男児A君とスコップで穴を掘って遊んでいました。
保育者「穴の中に何か宝物が隠れてるといいね!」
A君「僕は、ロボットがかくれてるといいな」
保育者「先生は、何がいいかな」
A君「イエス様の人形がいいんじゃない!!」
保育者「どうしてイエス様の人形がいいの?」
A君「だってみんなを守ってくれるでしょう!!」
保育者「そうだね。イエス様はみんなを守ってくれるよね」
穴掘りがもっと楽しくなって、もっともっと深く掘り続けました。
残念ながら二人の希望のものは見つかりませんでしたが、心が温かくなった出来事でした。
*東福岡幼稚園「宝物はなあに?」2017年1月16日
(http://higashifukuoka-youchien.jp/blog/2017/01/ , アクセス日: 2017年2月2日)

 クリスチャンは天の国を見出した者である。天の国を見出すとは、A君が言うように、イエス・キリストに出会い、天の国を所有することである。その喜びは非常に大きく、他のものを全て手放しても惜しくないほどである。
 私達は今イエス・キリストという宝が隠されている畑を自分のものにしている。その畑とは聖書である。イエス・キリストは「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネによる福音書5章39節)と言われた。聖書という畑を掘っていく時、色々な場所から宝を発見出来る。そして、私達はこの宝探しを一生続けることが出来る。聖書の言葉から今日も宝を発見しよう。

(2) 持ち物を売り払って真珠を買った人――イエス・キリスト

 畑に隠された宝を見つけた人も、良い真珠を探していた人も、全ての持ち物を売り払ってでも、それを手に入れようとした。天の国を手に入れることは、私達が現在持っている全てのものを引き換えにしてもいいほど、大きな収益を残す投資である。しかし、現在持っているものを差し出して投資しなければ、その収益は得られない。私達は天の国のために何をどのように投資しているだろうか。絶対的な価値のないもののために時間とエネルギーと命をかけてはいないだろうか。天の国よりもこの世の良いものを選び取ってはいないだろうか。私達は天の国を手に入れる喜びを回復する必要がある。
 実際のところ、私は天の国のために全てを犠牲にするようなことを出来ていない。全てを犠牲にして下さったのは寧ろイエス・キリストの方である。イエス・キリストは私達を探して下さった。私達を真珠のように見て下さった。そしてご自分の命と引き換えに私達を買い取って下さった。
 私達は、この地上でどれほど正しく歩んでも、主なる神の義を満たすことは出来ない。教会生活に慣れ親しみ、教会で熱心に奉仕することも、自分が「良い魚」であるという証拠にはならない。主なる神を満足させることが出来るのはイエス・キリストの義だけである。このイエス・キリストに繋がり、「何よりもまず、神の国と神の義を第一に求め」(6章33節)て生きる時、私達は「良い魚」として天の国に入ることが出来る。