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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書10章1~16節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書10章1~16節(新共同訳 新約p.125)

(1) 謙遜を学ぶ訓練

 数年前、海外での研修のため、タイのバンコクに1か月滞在したことがあった。私はタイ語が全く話せず、現地の方と片言の英語でやり取りをするしかなかった。しかも、屋台で出された水を飲んで食あたりを起こしたり、食事に添えられていたパクチーをなかなか食べることが出来なかったりした。とはいえ、一つはっきり言えるのは、その1か月の間、私は日本にいる時よりも間違いなく謙遜であった、いや謙遜にさせられたということである。一人では全く何も出来ない自分の姿を知らされたからである。
 イエス・キリストは、12人の弟子達とは別に、「七十二人」を「御自分が行くつもりのすべての町や村」に遣わされた(1節)。その際、彼らはイエス・キリストから「財布も履物も持って行くな」(4節)と言われている。
 何も持たずに遣わされた弟子達は、主なる神の御力に頼り、人に助けてもらうしかなかった。遣わされた先で彼らを迎え入れてくれるのは、サマリア人や異邦人だけかも知れない。また、食事の時、律法が食べることを禁じているものを出されるかもしれない。それがユダヤ人である彼らにとって容易に受け入れ難いことであるのは言うまでもない。しかし、イエス・キリストは「どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」(9節)と教えられた。この派遣は、彼らに謙遜を教え、身に着けさせる実地訓練だったに違いない。

(2) 弱さを通して広がる福音

 一方、弟子達を助けた人は、彼らから「この家に平和があるように」(5節)という祝福を受けることが出来た。物乞い同然の弟子達が「この家に平和があるように」と祈ってくれることを有り難く思う者を、イエス・キリストは「平和の子」と呼び、「平和はその人にとどまる」と言われた(6節)。
 これがイエス・キリストの教える福音宣教の方法であった。私達は、自分が強くなることによって、豊かになることによって人を救うことが出来ると考える。しかし、イエス・キリストは逆に弟子達を弱く、貧しくすることによって人を救おうとされた。イエス・キリストの福音は私達の弱さを通して広がっていく。