Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ルカによる福音書11章37~54節

聖書研究 ルカによる福音書11章37~54節(新共同訳 新約p.130)

(1) ファリサイ派の人々に対するイエス・キリストの非難(37~44節)

ファリサイ派の人から食事の招待を受けた」(37節)時、イエス・キリストは「食事の前にまず身を清められなかった」(38節)。「内側は強奪と悪意に満ちている」のに、外側は敬虔なふりをするファリサイ派の人々の偽善を曝け出すためであった(39節)。
 イエス・キリストは、彼らを厳しく非難し、「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ」と繰り返し言われた(42~44節)。「薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一」を欠かさず「献げ」、人々の尊敬を受けても、「正義の実行と神への愛」を「おろそかにしている」ならば、主なる神を喜ばせることは出来ないからである(42節)。
 キリスト者は、「人目につかない墓」(44節)のように常に腐敗した自分の姿を直視し、悔い改める必要がある。その上で、外面だけでなく内面においても主なる神に忠実であるためには、心が新しくならなければならない。「外側を造られた神は、内側もお造りになった」(40節)方である。私達は虚勢を捨て、聖霊によって変えられる必要がある。

(2) 律法の専門家に対するイエス・キリストの非難(45~54節)

 律法の専門家には律法を解釈して教える務めがあった。ところが、彼らは、他の人に重い宗教的な義務を課しながら、自分自身はそれを行っていなかった。「人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしない」律法の専門家に対し、イエス・キリストは「不幸だ」(口語訳では「わざわいである」、新改訳では「忌まわしいものだ」)と非難された(46節)。
 また、律法の専門家は、「預言者の墓を建て」、殉教の伝統を尊重するかのように装っていたが、実際には預言者を迫害して殺す行為に加担した(47節)。更に、彼らは、御子イエス・キリストに対し「激しい敵意を抱き」、「何か言葉じりをとらえようとねら」い、主を十字架につける陰謀を企てた(53節)。
 聖書の言葉はまず自分自身に適用しなければならない。そして、主なる神とその言葉の御前に独りで立ち、自分を正当化する過ちを克服すべきである。

【祈り】
 天の父よ、あなたの聖なる御名を心からほめたたえます。あなたの御声を聴くことが出来たことを感謝致します。
 主よ、御子イエス・キリストがお語りになった言葉は、私達にとって大変厳しいものです。しかし、イエス・キリストからお聴きすることがなければ、私達は自分の高慢や偽善に気付くことがありませんでした。イエス・キリストと出会い、イエス・キリストを信じる者とされたことは何という大きな祝福でしょうか。あなたがイエス・キリストをお遣わし下さったことを心から感謝致します。
 主よ、私達は自分の内側に分裂を抱えています。あなたの御前できよくありたい、正しくありたいと願います。また、他の人に対しても心から仕える者でありたいと願います。しかし一方で、そうではない別の自分、自らの栄光のためにあなたや他の人を利用することしか考えない自分がいることを認めなければなりません。私達もファリサイ派の人々と同じように生きています。イエス・キリストを知れば知るほど、私達の中に彼らと同じ罪があることを知らされていきます。彼らの罪は私達の罪でもあります。私達の内側に満ちている強欲と悪意によって、これまで多くの人を傷つけてきたに違いありません。私達の罪をどうかお赦し下さい。
 主よ、イエス・キリストは「外側を造られた神は、内側もお造りになった」(40節)と言われました。そして、私達の外側も内側もあなたのものとするために来て下さいました。私達をきよめることが出来るのは、イエス・キリストの十字架だけです。罪に満ちた私達の内側をどうかきよめて下さい。私達があなたの恵みを更に深く知り、更に経験する者となりますように。
 主よ、あなたはご自身の御心を示す者として預言者を遣わされました。彼らの中の或る者は殺され、或る者は迫害されました。しかし、イエス・キリストが十字架の死から甦られたことによって、私達は死や苦難の先にある希望を知る者とされました。この地上においてどれほど苦しいことがあろうとも、死の恐怖や不安が押し迫ろうとも、イエス・キリストが私達の内に生きておられます。どうか私達の内側をあなたの平安で満たして下さい。そして、あなたの御心を私達が自分の心とすることが出来ますように。
 主よ、イエス・キリストは私達に「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか」(6章39節)と言われました。私達はあなたの導きなしにはどの道を歩んだらいいか分かりません。あなたは私達の導き手であり、教師であり、光であられます。あなたが求められるように、あなたと隣人に仕えることが出来ますように。あなたが私達と共に歩んで下さることを感謝致します。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。