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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書のメッセージ ルカによる福音書12章20節

聖書のメッセージ ルカによる福音書12章20節(新共同訳 新約p.132)

 或る金持ちの畑で沢山の作物が出来た(16節)。この人は既に豊かであるのに、更に財産が増し加わった。彼は今ある倉では作物を全部しまう場所がないことに気付いた(17節)。そこでもっと大きな倉を建てることを思いついた(18節)。「これでもう何が起こっても大丈夫だ」と彼は安心した(19節)。
 ところが、そのような彼に主なる神は言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」(20節)。何年分もの蓄えがあっても、明日死んだらどうするのかと主なる神は告げられた。
 主なる神はこの人に「愚かな者よ」と言われた。彼のどこが愚かだったのだろうか。それは、この金持ちが心の中で呟いた言葉の中に表れている。彼は次のように言った。「どうしよう。『私の』作物をしまっておく場所がない。こうしよう。『私の』倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに『私の』穀物や『私の』財産をみなしまい、『私の』魂に言ってやるのだ」。
 この金持ちは財産も命も全て自分のものであると思っていた。しかし、主なる神は彼に「本当にそうなのか」と問いかけた。彼に命を与えられたのは誰だろうか。彼に沢山の財産を与えたのは誰だろうか。彼の畑に沢山の実りをもたらされたのは誰だろうか。主なる神である。彼に与えられたものは、全て主なる神からの贈り物である。にもかかわらず、彼は主なる神のことを忘れ、主なる神から与えられた恵みを、当然のように自分のものであると思っていた。
 また、この金持ちは、主なる神のことを考えなかっただけでなく、他の人のことも考えなかった。彼の周りには貧しさの中で明日食べるものも無くて困っている人がいたかも知れない。しかし、彼は自分のことしか考えていなかった。全ての良いものは、主なる神からいただいたものであるということを忘れる時、良いものを他の人と分け合おうという思いも消える。
 お金も持ち物も、私達が生きていくために必要なものであり、大切なものである。しかし、主なる神のことを忘れてそれに頼る時、私達は自分のことしか考えなくなる。イエス・キリストを主と信じる者として、自分のことしか考えない生き方から救われ、主なる神と隣人に目を向けて生きる人生を歩み出そう。

祈り 愛する天の父よ、あなたはイエス・キリストを通して、私達が今持っている命もお金も持ち物も、全てあなたから与えられたものであるということを教えて下さいました。あなたから与えられたものを、あなたが喜ばれるような仕方で使うことが出来ますように。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。