Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書19章1~10節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書19章1~10節(新共同訳 新約p.146)

(1) 罪深い男ザアカイ(1~6節)

 ザアカイはローマ帝国のために税金を取り立てていた。当時徴税人は、ローマ帝国から課せられた税金に上乗せして不正に徴収し、私腹を肥やすということを行っていた。そのため、ユダヤ人の同胞から憎まれていた。「徴税人の頭」になり、「金持ち」になっても(2節)、彼には罪悪感と劣等感、心の傷があったことだろう。
 或る日、ザアカイはイエス・キリストがエリコの町に来られたという知らせを聞いた(1節)。彼は「イエスがどんな人か見よう」(3節)と会いに行った。イエス・キリストが「徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたり」(5章30節)しているという話を聞いたからだろう。ザアカイは「背が低かった」(3節)ため、いちじく桑の木に登った(4節)。
 イエス・キリストは、そのような彼に「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)と言われた。イエス・キリストは、ザアカイの名前、彼の内にある思いなどを全てご存知であった。私達がイエス・キリストに会いに行こうとする時も、実際にはイエス・キリストの方が私達に会いに来て下さっている。

(2) アブラハムの子ザアカイ(7~10節)

 イエス・キリストがザアカイの家に入られると、人々は「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」(7節)と非難した。もしイエス・キリストが自分の人気を第一に考える方であったなら、一人の徴税人のために群衆の支持を失うようなことはなさらなかっただろう。しかし、イエス・キリストは「失われたものを捜して救うために来た」(10節)方である。使命を成し遂げるために人気を失うことを恐れなかった。
 ザアカイは、イエス・キリストと出会って、自分がこれまで窃盗、偽証、貪りといった罪を犯してきたことを主なる神の御前で認めた。そして、「財産の半分を貧しい人々に施」すこと、「だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返」すことを約束した(8節)。律法の規定に従って(出エジプト記21章37節)、自分の罪の被害者に対して賠償を申し出たことは、彼の悔い改めが真実のものであることを示している。
 過去に犯した罪を悔い改め、新しい人に変えられたザアカイを、イエス・キリストは「アブラハムの子」と呼ばれた。そして、「今日、救いがこの家に訪れた」と赦しと回復を宣言された(9節)。救いとは、主なる神との関係の回復であり、隣人や世界との関係の回復であり、そして自分自身の回復である。