読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書20章1~8節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書20章1~8節(新共同訳 新約p.148)

(1) イエス・キリストの権威に挑戦する宗教指導者(1~2節)

 イエス・キリストが神殿の境内で福音を告げ知らせておられると、ユダヤの最高法院の一員である「祭司長や律法学者たち」や「長老たち」が近づいて来て(1節)、「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」(2節)と尋ねた。
 エルサレムにいたユダヤ教の指導者は、イエス・キリストが「商売をしていた人々」を神殿から追い出されるのを見て、自分達の権威と既得権益に挑戦する存在と考えた。彼らは「祈りの家」(19章46節)である神殿を私物化し、神殿の事柄に関しては自分達が権威を独占していると信じ、自分達の許可なしには誰も神殿で勝手なことは出来ないと考えていた。
 イエス・キリストは、主なる神の臨在の場である神殿で、福音を宣べ伝えられることによって主なる神を示された。イエス・キリストはそれを天の父から来た権威、主なる神の御子としての権威にもって行われた。しかし、彼らはそのことを認めず、イエス・キリストの御言葉と権威に挑んだ。

(2) 天から権威を与えられたイエス・キリスト(3~8節)

 祭司長や律法学者、長老の問いに対し、イエス・キリストバプテスマのヨハネについて逆に問い返された(3節)。その問いは「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」(4節)という内容であった。このように訊くことによって、イエス・キリストは彼らの悪と不従順を指摘されたのである。
 バプテスマのヨハネの権威は「天からのもの」であった。それ故、そのヨハネが「わたしよりも優れた方」(3章16節)と呼んだイエス・キリストの権威も天から来ていることは明白であった。しかし、彼らはヨハネの権威が「天からのもの」であるとは認めていなかった(5節)。そのことは彼らがヨハネを排斥したことによく表れている(7章30節、33節)。その一方で、彼らは民衆の怒りを買うことを恐れた(6節)。
 宗教指導者は、どちらの返答をしたとしても自分達に不利になることに気付き、「どこからか、分からない」(7節)と曖昧な返答をした。そこでイエス・キリストも彼らに「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」(8節)と言われた。それでも彼らはイエス・キリストを信じようとはしなかった。私達は、イエス・キリストの福音を聴く時、それを主なる神の権威ある御言葉として認め、それに従うことを求められている。