Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書20章19~26節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書20章19~26節(新共同訳 新約pp.149-150)

(1) 宗教指導者の陰謀(19~22節)

 律法学者や祭司長は、イエス・キリストに「手を下そうとした」けれども、「民衆を恐れ」てイエス・キリストを捕えることが出来なかった(19節)。そこでイエス・キリストの「言葉じりをとらえ」、異邦人の「総督の支配と権力」に引き渡して、処刑させるという陰謀を立てた。そして、そのために「正しい人を装う回し者を遣わし」(20節)た。
 回し者は、イエス・キリストを「先生」と呼び、「あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられる」とほめた(21節)。しかし、彼らの言葉は本心ではなかった。回し者は、信仰深いふりをしていたが、その実彼らの心の中は真理に対する無知と反感に満ちていた。そして、イエス・キリストを陥れるために警戒心を解こうとした。私達も、甘いお世辞に騙されないよう、いつも目を覚まし、主なる神からの知恵を慕い求めなければならない。

(2) 皇帝のものは皇帝に、神のものは神に(23~26節)

「皇帝に税金を納める」(22節)ことは、経済的、政治的な制度に留まらず、皇帝礼拝という宗教的な意味を持つ重大な問題であった。それを勧めることは、ユダヤ人の反感を買いかねなかった。かといって、納めてはならないと言えば、ローマ帝国への抵抗を扇動する者として逮捕される。回し者はイエス・キリストを罠にはめるために巧妙な質問をした。
 イエス・キリストは「彼らのたくらみを見抜」(23節)かれた上で、彼らの言葉をも用いて、世のあらゆる知恵を辱める主なる神の真理を示された。イエス・キリストは「デナリオン銀貨を見せなさい」と言われた。そこには当時のローマ皇帝の肖像と銘が刻まれていた(24節)。イエス・キリストは「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(25節)とお答えになった。このことによって税金を徴収する権限が皇帝にあることを認められた。その上で、私達の愛と信仰と忠誠を主なる神に献げるよう教えられた。イエス・キリストは「民衆の前でイエスの言葉じりをとらえる」という回し者の陰謀を無にし、黙らせた(26節)。
 イエス・キリストは、皇帝にも優る主なる神の権力を示すことにより、この世の権力の限界を定められた。私達はこの世に対する義務を果たす必要がある。国民としての責任を負い、国のために祈らなければならない。その一方で、主なる神に対する義務は他の何よりも優先される。国家の政策が主なる神に逆らうものであるならば、主なる神に従わなければならない。イエス・キリストを主とする信仰や人間の尊厳を害するような不当な国家権力に対しては屈服してはならない。イエス・キリストを主と信じる者は神の国の民だからである。主なる神に献げるべきものを献げ、同時にこの世に対する義務を疎かにしないことが神の国の民には求められている。