Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書21章10~19節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書21章10~19節(新共同訳 新約pp.151-152)

(1) 迫害の予告(10~13節)

 イエス・キリストは、エルサレム神殿が崩壊する時(6~7節)、「戦争とか暴動」(9節)の話を聞いたり、「大きな地震」があったり、「方々に飢饉や疫病が起こ」ったりすると予告された(11節)。また、その時には、イエス・キリストを主と信じ、従う者に対する激しい迫害も起こる(12節)。弟子達は「会堂や牢に引き渡」され、イエス・キリストの「名のために王や総督の前に引っ張って行」かれる(12節)。イエス・キリストが語られた迫害は、神殿崩壊以降も続いた。聖霊降臨に始まる教会の時代は、神の国の拡大に抵抗する者との戦いの時代でもある。
 しかし、この迫害はイエス・キリストの「証しをする機会となる」(13節)とも主は告げられた。実際、迫害の中で福音は力強く宣べ伝えられた。福音を宣べ伝えることを諦めたり、出来ないと思ってしまう最大の理由は、この世を恐れること、人を恐れることである。しかし、この世は迫害によってイエス・キリストを主と信じる者を滅ぼし尽くすことは出来ない。苦しい時ほど失望せず、福音の真理の上に堅く立とう。

(2) イエス・キリストが与えて下さる言葉と知恵(14~19節)

 これから迫害に直面する弟子達に対し、イエス・キリストは「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵」(15節)を与えると約束された。それ故、弟子達は尋問を受ける時、「前もって弁明の準備をする」(14節)必要はなかった。主なる神が私達と共にいて下さる。イエス・キリストが私達に聖霊を送って下さる。聖霊が私達に語る言葉と知恵を与えて下さる。それ故、私達は最良の対応の仕方を見出すことが出来る。弟子達は主なる神から与えられた知恵によって迫害に耐えつつ、福音を証しする人生を送った。
 また、イエス・キリストは弟子達に対し、最後まで主なる神に堅く拠り頼み、試練と苦難に耐え忍び、任された働きを続け、「命をかち取」(19節)るよう励まされた。迫害の中で弟子達は近く親しい関係にある「親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる」ことがある。それどころか、「殺される者」さえいる(16節)。信仰のある所には憎しみや敵対も存在する。しかし、これらは主なる神の不在や無能の証拠ではない。「十字架につけられたキリスト」(コリントの信徒への手紙一1章23節)において主なる神の知恵と力が現されたように、迫害や苦難の中でこそ、主なる神の知恵と権能は現される。
 イエス・キリストを主と信じる者は、迫害の中にあっても主なる神によって守られている。イエス・キリストは「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(18節)と弟子達を励まされた。それ故、弟子達はこの世のいかなるものも恐れる必要はなく、この世にあって大胆に生きていくことが出来た。全知全能の主なる神の守りと導きを信じるなら、私達は絶望の時にも耐え、希望を抱いて歩み続けることが出来る。諦めと絶望は信仰者には似合わない。聖霊の導きを信じ、信仰に堅く立って、いかなる時も主に従っていこう。