Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書21章20~28節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書21章20~28節(新共同訳 新約p.152)

(1) エルサレムの滅亡についての預言(20~24節)

 イエス・キリストは、エルサレムが異邦人の軍隊によって「軍隊に囲まれ」(20節)て滅ぼされることを弟子達に預言された。そして、その時になったら、エルサレムから出来る限り離れ、逃げるよう指示された(21節)。また、弱い立場にある「身重の女と乳飲み子を持つ女」を憐れに思われた(23節)。
 エルサレムの滅亡は「神の怒り」(23節)の故に下る裁きであった。イスラエルの民は、神殿のあるエルサレムを永遠の都であると信じていた。しかし、主なる神から離れたエルサレムには厳しい裁きが待っていた。かつてノアの時代の大洪水、ソドムとゴモラの滅亡、イスラエル王国の滅亡などがあったように、その日は「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ」、「エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」屈辱の日となる(24節)。イエス・キリストの預言は、A.D. 70年にローマ帝国の軍隊がエルサレムを包囲したことによって成就された。
 イエス・キリストは、以前ご自身とその福音を拒むエルサレムの行く末を思って涙を流された(19章41~44節)。私達は主なる神の裁きを聖書の言葉通りに信じ、警告として受け入れているだろうか。現代は主なる神の裁きについて考えない時代である。教会やクリスチャンですら、主なる神の裁きについて考えなくなっているように見える。自分の欲望に従う生活を変えたくないからである。しかし、主なる神の言葉は必ず成就する。

(2) 人の子についての預言(25~28節)

 エルサレムが陥落し、神殿が破壊されると、イスラエルの権威は失墜する。彼らは主なる神との関係において特権的な地位を失う。その時、「太陽と月と星に徴が現れ」たり、「海がどよめき荒れ狂う」など、様々な天変地異が起こる(25節)。天体は主なる神の僕として創造された(創世記1章16~18節)。それ故、旧約の預言者は「天体が揺り動かされる」(26節)ことをもって主なる神の裁きを表現した(イザヤ書13章10節、エゼキエル書32章7節、ヨエル書2章10節、3章4節、アモス書8章9節)。
 その上で、イエス・キリストは「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(27節)とお語りになった。イエス・キリストは、この言葉において、ご自分がダニエル書7章13節で預言された「人の子」であり、メシアであると宣言された。最高法院での裁判においてもイエス・キリストは「今から後、人の子は全能の神の右に座る」(22章69節)と言われている。
 天変地異が起こり、人の子が来るのを見た時、「諸国の民」は「この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失う」(26節)。しかし、イエス・キリストを主と信じる者にとっては、それは「解放の時」(28節)であった。何故なら、イエス・キリストが天地万物の主権者であられるということがはっきりと示されたからである。
 イエス・キリストはその日になすべき行動として「身を起こして頭を上げなさい」(28節)とお語りになった。これは喜びをもってイエス・キリストを迎えることの勧めである。信仰を最後まで守り続けた者に、イエス・キリストは「称賛と光栄と誉れ」(ペトロの手紙一1章7節)をお授けになる。イエス・キリスト神の国の王であられ、信じる者は神の国の民である。そして、神の国は永遠に滅びることがなく、歴史において拡大し、全世界に及ぶ。真の救いと希望はイエス・キリストの内にのみ存在する。