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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書22章24~38節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書22章24~38節(新共同訳 新約pp.154-155)

(1) 仕える王イエス・キリスト(24~30節)

 イエス・キリストが十字架を前にしていたにもかかわらず、弟子達は「自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論」(24節)をしていた。彼らは、イエス・キリストが王になられた時、自分には高い地位に就く資格があると競い合った。このことは、弟子達が依然としてイエス・キリストの謙遜と献身について理解していなかったことを示している。教会においてもこの世の基準に従って上下関係が決定されることがある。
 それに対し、イエス・キリストは、神の国では「いちばん若い者のように」なる者が「いちばん偉い人」とされ、「仕える者」が「上に立つ人」になると語られた(26節)。イエス・キリストご自身も仕えるために来られ、公生涯の間、人々に仕えられた。イエス・キリストの仕える姿は十字架の贖いの死において頂点に到る。イエス・キリストはご自分の命を差し出して、罪人である私達のために仕えて下さった(フィリピの信徒への手紙2章6~8節)。主なる神は、そのようなイエス・キリストに「支配権をゆだね」(29節)、神の国でご自身の右の座に就かせられた。
 その上で、イエス・キリストは、ご自分が「種々の試練に遭ったとき」、「一緒に踏みとどま」った弟子達に(28節)、神の国で共に祝福に与り、新しく形成された神の国の民を治めさせることを約束された(29~30節)。イエス・キリストは、弟子達がご自分に倣って、仕えて生きることを願われた。イエス・キリストの十字架によって私達は変えられ、仕える者とされる。

(2) 弟子達のために祈られるイエス・キリスト(31~34節)

 イエス・キリストは弟子達に「サタンがあなたがたを、小麦のようにふるいにかける」(31節)と語られた。サタンはイエス・キリストを主と信じる者を信仰から離れさせようと手を尽くす。ペトロは後にサタンを「だれかを食い尽くそうと探し回って」いる「ほえたける獅子」に喩え、「信仰にしっかりと踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と教えている(ペトロの手紙一5章8~9節)。
 人間は弱く、惑わされ易い。ペトロ自身、この時は「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(33節)と大言壮語している。しかし、イエス・キリストは彼に「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」(34節)と予告し、実際その通りになった(54~62節)。他の弟子達もイエス・キリストが捕まると皆逃げてしまった。
 弟子達はイエス・キリストが行かれる道を全く理解していなかった。しかし、イエス・キリストは、そのような弟子達を見捨てず、彼らの「信仰が無くならないように祈」(32節)られた。私達も躓き、失敗し、絶望することがある。にもかかわらず、私達が最後まで信仰を失わないでいられるとしたら、それはイエス・キリストが守り、執り成して下さるからである(ローマの信徒への手紙8章34節)。
 更に、イエス・キリストは、ペトロが「立ち直った」後、「兄弟たちを力づけ」ることを願われた(32節)。イエス・キリストは、ご自身に従う者が神の国のために生きることが出来るように力を与えて下さる。使命を与え、それを果たすことが出来るようにして下さる。私達が直面する試練は耐えることの出来る試練である(コリントの信徒への手紙一10章13節)。イエス・キリストが力を与えて下さるから、私達は神の国のためにチャレンジすることを迷ってはいけない。

(3) 弟子達に備えさせるイエス・キリスト(35~38節)

 イエス・キリストは、神の国を宣べ伝えるために弟子達を遣わされた時、「旅には何も持って行ってはならない」(9章3節)と言われ、「財布も袋も履物も持たせ」(35節)なかった。それでも、彼らが何も不足することがないようにされた(35節)。
 しかし、ご自身の十字架の死を前にして、今度は弟子達にそれらと共に護身用の剣を買うように言われた(36節)。イエス・キリストが逮捕され、十字架で処刑されれば、弟子達も「犯罪人」(37節)の仲間として追われる身になることを知っておられたからである。「その人は犯罪人の一人に数えられた」というイザヤの預言は、イエス・キリストが2人の犯罪人と共に十字架につけられることによって成就した(37節、イザヤ書53章12節)。
 イエス・キリストは、十字架の死を前にしても、変わることなく弟子達を気にかけられた。また、聖霊を送って下さり、彼らと共におられた。イエス・キリストが再び来られる日に喜びをもって迎えていただけるよう、私達は最善を尽くさなければならない。