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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書23章13~25節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書23章13~25節(新共同訳 新約pp.157-158)

(1) 罪のないイエス・キリスト(13~17節)

 総督ピラトはイエス・キリストについて「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(4節)と述べており、「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」(15節)と考えていた(14節)。ピラトと敵対関係にあったヘロデも同様で(12節)、何の嫌疑も見出せず、イエス・キリストを送り返してきた(15節)。
 それでもピラトは、群衆を納得させるために「鞭で懲らしめて釈放」(16節)するという妥協案を提示した。「訴えているような犯罪」は「何も見つからなかった」にもかかわらず、イエス・キリストを鞭で打つというのは不当なことである。ピラトは群衆を敵に回してでもイエス・キリストを弁護する考えまでは持っていなかった。
 福音書記者ルカは、このことによってイエス・キリストが何の罪もない方であるにもかかわらず苦しみを受けられたことを明らかにしている。イエス・キリストが罪のない方であると知ることは大変重要である。何故なら、イエス・キリストに罪が一つでもあるなら、イエス・キリストを信じる人の罪を贖うことは出来ないからである。イエス・キリストは生涯を通して罪を犯したことがなく、主なる神に完全に従い、義を成し遂げられた。それ故、人間の罪を贖うことが出来る。イエス・キリストにこそ真の義があることを確信する時、私達は救いを確信することが出来る。

(2) 罪人の代わりに死なれたイエス・キリスト(18~25節)

 イエス・キリストが裁判を受けている間、多くの人々が集まって来た。祭司長は群衆を扇動し(マルコによる福音書15章11節)、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」(18節)と要求させた。彼らは数日前までイエス・キリストの話を聞こうと朝早くから神殿に集っていた(21章38節)。しかし、集団心理に呑み込まれ、「十字架につけろ、十字架につけろ」(21節)と大声で叫び続けた。
 福音書記者ルカは、イエス・キリストにつけて殺すよう叫ぶ群衆の様子を、3度も繰り返し描いている(18節、21節、23節)。群衆は集団的熱狂の中で「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた」(19節)バラバを生かし、神の御子イエス・キリストを十字架につけるよう主張した。メシアを待望していた人々が、メシアを死に到らせたのである。
 一方、ピラトは、ユダヤ人の熱狂に当惑しつつも、彼らの強い要求に押されて、最終的には彼らが求める通りにする決定を下した(24節)。その結果、バラバは釈放され、イエス・キリストは十字架で処刑されることになった(25節)。
 イエス・キリストが十字架刑の宣告を受けた時、暴動と殺人の罪によって牢に入れられていた犯罪者バラバが赦免されたことは、イエス・キリストが何故死なれたかをはっきりと示している。イエス・キリストは、罪と悪に満ちた人間の代わりにその罪を負い、主なる神の怒りと刑罰を受けて死なれたのである。エレミヤが「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる」(エレミヤ書17章9節)と預言したように、私達人間は罪によって心の底まで腐敗しており、「常に悪いことばかりを心に思い計らっている」(創世記6章5節)者である。しかし、イエス・キリストが十字架で死なれたことによって、私達は罪と死から解かれることになった。
 私達は皆罪人である。イエス・キリストが十字架にかかって死ななければならなかった原因を作った者である。確かに、直接的には祭司長と律法学者が陰謀を企て、偽りの証人を立てて、イエス・キリストを告発した。ピラトは、イエス・キリストが無罪であると知りながら、真理と正義よりも保身を優先した。移り気な群衆は熱狂の中でイエス・キリストを十字架につけるよう要求した。しかし、イエス・キリストを死に追いやった人々の中に私もいた。
 イエス・キリストの十字架を見上げる時、私達はその残酷な刑罰による死が他ならぬ自分のためであると知らされる。私達はイエス・キリストの十字架の死について「人類の救いのため」と一般的に考える傾向がある。しかし、イエス・キリストの十字架は、私達一人一人のためであり、私のためである。私の罪のためにイエス・キリストは十字架で死ぬことになった。
 イエス・キリストは一切不平不満を言わず、十字架への道を歩まれた。イエス・キリストが「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネによる福音書1章29節)であられるというバプテスマのヨハネの言葉は、十字架において成就した。