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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書23章44~56節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書23章44~56節(新共同訳 新約p.159)

(1) イエス・キリストの死(44~49節)

 イエス・キリストが十字架で死なれる時、全地が暗くなり(44節)、太陽が光を失った(45節)。暗闇が臨むことは旧約聖書では主なる神の裁きを表している(出エジプト記10章21~22節、詩編105編28節、イザヤ書13章10節、60章2節、エレミヤ書13章16節、エゼキエル書32章7~8節、ヨエル書3章4節、アモス書5章18節、20節、8章9節、ミカ書3章6節)。主なる神は人間の罪に対する怒りを罪のないイエス・キリストに下された。そして、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(46節)と大声で叫んで息を引き取られた。これは、ヨハネからバプテスマを受け(3章21節)、公生涯を始められたイエス・キリストが、その働きを全うされたことを示している。イエス・キリストは、主なる神の御心に従って贖いの供え物となられ、罪人が受けるべき呪いと裁きを代わりに受けられた。
 私達はイエス・キリストが受けられた十字架の苦しみを知らなければならない。そして、イエス・キリストが負われた私達の罪、偽り、頑なな心を自覚しなければならない。十字架の苦しみを知れば知るほど、イエス・キリストが私達に与えて下さった恵みの大きさと深さを知ることが出来る。
 イエス・キリストが息を引き取られた時、神殿の幕が裂けた(45節)。そのことによって主なる神と人間の関係の回復が目に見える仕方で表された。主なる神の御前に出て行くことの出来なかった罪人が罪の赦しを受け、主なる神の御前に出ることが出来るようになったのである(ヘブライ人への手紙10章20節)。罪のないイエス・キリストが刑罰を代わりに受けられたことによって、罪人を裁かれる主なる神の義が満たされた。全ては主なる神の恵みである。
 百人隊長は、十字架におけるイエス・キリストを見て、「本当に、この人は正しい人だった」(47節)と告白した。見物に来ていた群衆も、これらの出来事を見て、胸を打ちながら悔い改め、帰って行った(48節)。イエス・キリストの十字架の恵みを知る時、私達はそうせざるを得なくなる。
 イエス・キリストを主と信じる者は、信仰によって義とされ、主なる神との間に平和を得ている(ローマの信徒への手紙5章1節)。それ故、心配と恐れから解放され、平安の中で生きることが出来る。罪と戦い、勝利することが出来る。主なる神との豊かな交わりの中で祈ることが出来る。そして、イエス・キリストを証しし、主なる神にご栄光を献げずにはいられなくなる。

(2) イエス・キリストの葬り(50~56節)

 イエス・キリストが十字架で死なれた後、遺体を引き取る人がいなかった。その時、「ユダヤ人の町アリマタヤの出身」(51節)の「ヨセフという議員」(50節)が登場する。彼は、「善良な正しい人」(50節)で、「同僚の決議や行動には同意しなかった」(51節)。イエス・キリストの無罪については、ピラトとヘロデによって(4節、14節、15節)、一緒に十字架につけられた犯罪人によって(41節)、百人隊長によって証しされてきた(47節)。「善良な正しい人」であったヨセフが同意しなかったことも、イエス・キリストの無罪を示していると言える。その一方で、彼は「ユダヤ人を恐れて」イエス・キリストの弟子であることをそれまで隠していた(ヨハネによる福音書19章38節)。
 しかし、ヨセフは、自分が不利益を蒙ることを覚悟の上で、「勇気を出して」(マルコによる福音書15章43節)ピラトのところに行き、イエス・キリストの遺体を引き取ることを申し出た(52節)。その後、イエス・キリストの遺体は「まだだれも葬られたことのない」(53節)新しい墓に安置された。「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たち」も、墓を確認して(55節)、家に帰り、香料と香油を準備した(56節)。このことは、急いでイエス・キリストを葬ったため、遺体に香料と香油を塗る時間もなかったことを伝えると共に、彼女達が安息日を守る敬虔な信仰者であったことを示している。婦人達は、イエス・キリストの十字架と葬り、そして空の墓という決定的に重要な出来事の目撃者となった。
 ヨセフも婦人達も「神の国を待ち望んでいた」(51節)が、イエス・キリストの十字架の死は神の国をこの世にもたらした。そして、神の国を願う者をそこに導き入れる。イエス・キリストが十字架につけられたことは、失敗や挫折ではなく、罪人を救うための主なる神のご計画の成就である(エフェソの信徒への手紙1章4節、9節)。私達もイエス・キリストを主と信じることによって神の国に入ることが出来る。私達に臨む神の国は最初からし種やパン種のように小さい(13章18~20節)。しかし、神の国は私達の内にあって大きく成長していく。そして、この世にあって主なる神の御心に従って生きる者へと私達を変えていく。