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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書24章44~53節

聖書の黙想と適用 ルカによる福音書24章44~53節(新共同訳 新約pp.161-162)

(1) 聖書の言葉を成就されたイエス・キリスト(44~47節)

 復活されたイエスは、弟子達に「聖書の意味を悟らせるために彼らの心の目を開」(45節)かれた。イエス・キリストの十字架と復活によって「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄」(44節)、即ち旧約聖書においてイエス・キリストについて記されていたことは全て成就した。
 イエス・キリストの十字架と復活は、主なる神の救いのご計画の成就である。新約聖書、特にイエス・キリストの十字架の死と復活に照らして旧約聖書を読み、旧約聖書に照らして新約聖書を読む時、私達は主なる神の救いの計画をよく理解することが出来る。聖書を悟るためには、イエス・キリストの十字架の死と復活を知り、信じなければならない。
 その上で、イエス・キリストは、ご自身が「苦しみを受け、三日目に死者の中から復活」(46節)されたことによって、「罪の赦しを得させる悔い改め」が、イエス・キリストの「名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と予告された(47節)。イエス・キリストの死と復活によって悔い改めて罪の赦しを受ける道が開かれた。
 聖書の言葉を通してイエス・キリストの十字架と復活を知り、イエス・キリストを主と信じた時に与えられるのは、環境や状況によって変化する一時的な平安ではない。どのような状況においても永遠に生きておられるイエス・キリストにある平安である。キリスト者は、この福音を全ての民に、即ち「地の果てに至るまで」(使徒言行録1章8節)宣べ伝えるという使命を受けている。

(2) 天に上げられたイエス・キリスト(48~53節)

 イエス・キリストの十字架と復活の福音が全世界に宣べ伝えられるためには、弟子達が「これらのことの証人」(48節)にならなければならない。そして、そのためには聖霊の助けが必要である。イエス・キリストがこの地で働かれる時、聖霊の力に満たされたように(4章14節)、弟子達にも聖霊の力が必要であった。それ故、イエス・キリストは弟子達に聖霊を送ることを約束された。そして、聖霊を受けるまでエルサレムに留まるよう命じられた(49節)。
 イエス・キリストは、弟子達を祝福しながら(50節)、天に上げられた(51節)。しかし、イエス・キリストの働きは、天に上げられた後も終わってはいない。主なる神はイエス・キリストをご自分の右の座に着かせ、あらゆるものの主とされた(エフェソの信徒への手紙1章20~21節、フィリピの信徒への手紙2章9~10節)。イエス・キリストはご自分を信じる者が証人となり、福音が地の果てまで伝えられるよう聖霊を注いで下さる。そして、ご自分の民を救い、神の国へと招き、祝福し、守って下さる。
 イエス・キリストが与えて下さる聖霊に満たされることによってのみ、私達はイエス・キリストから与えられた使命を果たすことが出来る。教会の歴史の中で聖霊についての誤解や過度の強調がしばしば見られた。病が癒され、異言を語ることが出来なければ聖霊を受けていないというような誤った賜物主義が存在した。或いは、聖霊を受けることによって聖書には書かれていない別の啓示を受けると考える誤解も存在した。イエス・キリスト聖霊を送られたのは、私達をイエス・キリストに似た者とし、主なる神の愛と力によって福音宣教に当たらせるためである。助け主であられる聖霊の導きと守りを受け、イエス・キリストが主であり、救い主であられることを伝えよう。