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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ミカ書1章1~7節

聖書の黙想と適用 ミカ書1章1~7節(新共同訳 旧約p.1449)

(1) 住まいから出てこられる主なる神(1~4節)

「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」に主なる神の言葉がミカに臨んだ(1節)。ミカは「サマリアエルサレム」についての幻を見て、主なる神の御心を知った(1節)。ミカが預言者として活動した頃、イスラエル(北王国)とユダ(南王国)は、偶像に仕え、様々な罪を犯し、主なる神を畏れようとしなかった。その罪が満ちたため、主なる神は立ち上がられた。ミカ書は、腐敗し、堕落しきった宗教指導者や、貪欲による搾取と偽りを日常的に行っていた支配層に向けられた裁きのメッセージである。
 ミカは「諸国の民」「大地とそれを満たすもの」に「皆聞け」「耳を傾けよ」と呼びかけた(2節)。偶像に対しては人間が一方的に話すだけだが、主なる神は生きておられ、私達に語られる。主なる神の言葉が臨んだら、まず聞かなければならない。聞いてこそ理解することが出来る。聞かないことは不従順である。罪と欲望で満たされていては、主なる神の言葉は聞こえない。
 その上で、ミカは「見よ、主はその住まいを出て、降り/地の聖なる高台を踏まれる」(3節)と語り、主なる神の裁きを予告した。傲慢と偽りの安定の象徴であり、偶像礼拝が行われていた「地の聖なる高台」を主なる神は踏みつけられる。サマリアエルサレムの罪に対して主なる神が立ち上がり、彼らの罪悪の証人となられる(2節)。
 主なる神の裁きが始まると、「山々はその足もとに溶け、平地は裂ける」(4節)とミカは言う。その時「火の前の蠟のように/斜面を流れ下る水のように」主なる神の裁きは止まることを知らない。そのため、主なる神の裁きに耐えられる者は誰もいない。
 主なる神は、ご自分の民が罪を犯した時、その罪を即座に裁かれることをせず、悔い改めの機会を与えて下さる。裁きを下す前に罪を指摘し、ご自身の御心を伝えられる。そして、民が悔い改めて、ご自分のもとに立ち帰るよう待って下さる。旧約の時代には預言者が先に遣わされ、最後には御子イエス・キリストが遣わされた。主なる神は忍耐深い方であられる。
 しかし、主なる神が永遠に罪を裁かれないということはない。主なる神は聖い方であられる。だから、民がご自身の言葉に耳を傾けないなら、主なる神は罪を裁くことによって、人々を悔い改めさせ、ご自身に立ち帰らせる。主なる神の言葉はこの世に救いと裁きを告げる。裁きを告げながら、同時に救いを示される。真実の救いは主なる神にある。

(2) 主なる神の裁き(5~7節)

 主なる神が審判者として臨まれたのはイスラエルとユダの罪のためであった(5節)。主なる神が立ち上がられる時、イスラエルの都サマリアは徹底的に破壊され、「野原の瓦礫の山」だけが残る(6節)。また、その時には「偶像」が全て粉砕され、神殿娼婦に与えた金銭は全て「火で焼かれる」(7節)。エルサレムも「ユダの聖なる高台」と化し、偶像に仕えるが故に、主なる神の裁きを避けられない(5節)。
 悔い改めとは、罪との繋がりを断ち切り、主なる神に再び繋がることである。偶像礼拝が「淫行」と密接に結び付いていたように、罪は互いに関連し合っており、一つの罪が別の罪を呼ぶ。
 主なる神は彼らの悔い改めを待っておられた。そして、私達に対してもミカの預言を通して悔い改めを呼びかけておられる。罪の結果は悲惨なものである。主なる神が裁きのために立ち上がられる前に、その言葉に従って罪から離れよう。主なる神の言葉を自分に対する言葉として受けとめ、主なる神が指摘する罪があるなら、直ちに悔い改めてそれを捨てよう。そうすれば裁きを避けることが出来る。