Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ミカ書5章9~14節

聖書の黙想と適用 ミカ書5章9~14節(新共同訳 旧約p.1455)

(1) 軍馬を絶ち、戦車を滅ぼす主なる神(9~10節)

 ミカは、主なる神の統治がこの地上に臨む時、戦争の武器が絶ち滅ぼされることを預言した。主なる神は「その日が来れば」ご自分の民の中から「軍馬を絶ち/戦車を滅ぼ」し(9節)、「砦をことごとく撃ち壊」(10節)される。主なる神があらゆる敵を退け、戦争に使用する武器や要塞は最早必要でなくなるからである。主なる神が建てようとされる国は強い軍事力に頼る国ではない。主なる神が統治する王国の特徴は全き平和である。
 ユダ(南王国)は主なる神の代わりに軍馬、戦車、砦に依り頼んできた。だが、自分達の軍馬、戦車、砦がアッシリアやバビロンによって次々に倒された時、彼らは「その日」を経験した。また、私達がイエス・キリストを主と告白し、その御名の中で生きる時、「その日」は私達に臨む。そして、イエス・キリストが再び来られる時、「その日」は完全に成就する。「その日」には神の民が自分を守るために門を閉ざすこともなくなる(ヨハネの黙示録21章25節)。

(2) 偶像を絶つ主なる神(11~14節)

 主なる神はイスラエルに「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」と命じられた(出エジプト記 20章3~4節)。
 にもかかわらず、イスラエルの民は、カナンの地で偶像に仕え、また占い師、卜者、易者、呪術師、口寄せ、霊媒などを受け入れるようになった(申命記18章10~11節、エゼキエル書20章30節)。彼らは、木、金属、石などに刻んで偶像を作り、それを身に着けて歩いた。その結果、サマリアエルサレムは偶像礼拝に深く染まっていった(1章5節)。特に、「アシェラ」(13節)は、バアルの妻で、豊穣と繁栄の女神として信じられていた。バアルやアシェラに仕える儀式は、性的なことと関係していたため、イスラエルの霊的、倫理的な堕落をもたらした。
 イスラエルの民は、主なる神の御前に高ぶり、自分達の欲求を満たすために偶像や占いに依存した。主なる神の約束を信頼しなかったため、豊穣と繁栄を求めて偶像を作った。また、律法や預言を通した主なる神の言葉よりも、現世的な祝福を祈ってくれる呪術師の言葉を好んだ。
 だが、「その日」に主なる神は「呪文」「魔術師」「偶像」を完全に絶ち滅ぼし、民がそれらのものにひれ伏すことがないようにされる(11~12節)。主なる神が治められる国においては人々の心がきよめられる。その結果、偶像に依存することなく、主なる神に従うようになる。
 また、主なる神はご自分に聞き従わない国々を「怒りと憤りをもって」屈服させ、全世界が神の国となるようにされる(14節)。そのことをご自分を捨てて偶像に仕えたユダに対する裁きによって具体的に示された。神の民とはただ主なる神だけに仕えて生きる人々である。
 彫刻の像を拝むという目に見える偶像礼拝は、今も世界の至る所で盛んに行われている。更に深刻なことは、自分の心の中に何らかの偶像を作り、それに仕えることである。現代人は、主なる神だけが与えることの出来る希望、生きる意味、達成感、満足感を得ようとして、金や権力、名声を追い求め、迷信や神話を信じる。しかし、それらは皆偶像である。心の中の偶像礼拝を絶たない限り、外形的な偶像礼拝もなくなることはない。
 このような偶像礼拝から抜け出す唯一の道は、主なる神に立ち帰り、主なる神の恵みの内に留まり、主なる神のご支配を受け、偶像の影響力から断ち切られることである。