Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ミカ書7章1~13節

聖書の黙想と適用 ミカ書7章1~13節(新共同訳 旧約pp.1457-1458)

(1) 正しい者がいなくなったユダ(1~4節)

 主なる神の裁きを前にして、預言者ミカは悲しんだ(1節)。「主の慈しみに生きる者」「正しい者」がユダ(南王国)からいなくなったからである(2節)。「主の慈しみに生きる者」とは「へりくだって神と共に歩む者」(6章8節)である。それは、右にも左にも逸れず、主なる神の言葉を行う者である。そのような者がユダからいなくなったということは、彼らが止まることなく悪へと突き進んだことを意味する。
 困難が襲ってきた時、私達の信仰の内実が明らかになる。とても信仰深く見えた人が、患難の中で躓き、主なる神から離れてしまうことがある。一方、強い信仰を持っているようには余り見えなかった人が、苦しみの中で主なる神に縋り付き、信仰の戦いに勝利することもある。
 ユダは皆が堕落した状態になってしまった。「役人も裁判官も報酬を目当てとし/名士も私欲をもって語」(3節)り、正義ではなく自分の利益を優先して動いた。彼らは貪欲に満ち、悪を行い、弱い者や貧しい者を日常的に圧迫した。悪によって立てられた国は必ず倒れる。「見張りの者が告げる日」「刑罰の日」(4節)、即ち見張りがバビロンの侵略の知らせを叫ぶ日、そして彼らがバビロンに捕囚として連れて行かれる日がやって来る。主なる神は今もご自身の慈しみに生きる者、正しい者を探し求めておられる。

(2) 主なる神だけが光であられる(5~13節)

 悪が蔓延すれば、信頼関係も崩れる。「隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな」(5節)とミカは言う。ユダでは心から語り合い、痛みを分け合える人が誰もいなくなった。不信は自分の欲望のために他人を騙し、利用し、陥れることから始まる。そして、騙し騙され合うことが繰り返される中で、信頼関係の回復が不可能な状態にまで到った。誰も信じられない社会になってしまったイスラエルは、結束力が消え失せ、最終的に滅亡に到った。イスラエルの滅亡は利己的な人間が主なる神の律法を捨てた結果である。
 ユダの現状に対する深い絶望の中でミカは「わたしは主を仰ぎ/わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる」(7節)と信仰を告白する。正しい者を見つけることの出来ないこの世にあって、救いはただ主なる神にある。この世の人々は私達を失望させても、主なる神は真実な方であられる。「たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光」(8節)とミカは言う。この世に期待するならば、私達はいつも失望するしかない。しかし、主なる神は私達を失望させることはない。主なる神を仰ぐ時、いつも新しい希望が生まれる。
 勿論、主なる神は悪を必ず裁かれる。ミカは「わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない」(9節)と述べている。ユダの人々のこれまでの罪悪の結果が「大地は荒れ果てる」という「実」である(13節)。実は一日にして成るわけではない。種を蒔き、芽が出て、成長する時間がある。主なる神はユダをすぐに裁くことをせず、悔い改めの機会を与えられた。しかし、彼らは一向に罪を悔い改めることがなかった。実の刈り取りの時が彼らに訪れようとしていた。
 その一方で、「たとえ倒れても」主なる神が再び起き上がらせて下さることにミカは希望を見出した(8節)。神の民がその罪の故に倒れても、主なる神が将来自分達を必ず回復させて下さることを信じたのである。主なる神は、ミカの祈りを聞かれ、彼を何の希望もない暗闇から「光に導かれ」る。そして、彼は「主の恵みの御業を見る」ことになる(9節)。事実、主なる神は彼らをバビロンから帰還させ、エルサレムの「城壁を再建する」(11節)。「お前の神、主はどこにいるのか」と嘲った敵は、それを見て恥に覆われる(10節)。
 更に、「その日」(12節)は「国境の広げられる日」(11節)でもある。エルサレムは「海から海、山から山まで」国々を抱くことになる。敵であったアッシリアやエジプトの人々までがエルサレムにやって来る(12節)。イエス・キリストは弟子達に「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(ルカによる福音書24章47節)と予告された。私達が私利私欲に従って生きている時には、「息子は父を侮り/娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう」(6節)など、家族さえも信じられなくなるほど不信が蔓延る。しかし、罪を悔い改めてイエス・キリストを主と信じる時には、敵でさえ家族になる。教会の中に愛と信頼が溢れ、互いを顧み、励まし合いながら進んで行けるよう祈り求めていこう。