Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ルツ記4章13~22節

聖書の黙想と適用 ルツ記4章13~22節(新共同訳 旧約p.427)

(1) オベドの誕生(13~17節)

 ナオミは飢饉を生き延びるために故郷を離れた(1章1節)。しかし、夫と息子2人に先立たれ(1章5節)、何もかも失ってベツレヘムに帰って来た。彼女は自分の生きる道が闇に覆われたように感じていたことだろう。悲しみと苦しみ、そして恥ずかしさから、ナオミは「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください」(1章20節)と言った。
 しかし、主なる神はナオミを「見捨てること」(14節)はなかった。死んだ息子の嫁であったルツが、ボアズと出会い、その妻となり、男の子を産んだ(13節)。これは決して当たり前のことではない。ルツが男の子を産んだことは、常に私達の必要を満たして下さる主なる神の恵みを覚えさせる。
「家を絶やさぬ責任のある」(14節)男の子を与えられたナオミに、人々は「その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう」(15節)と述べ、主なる神を讃美した(14節)。オベドと名付けられたその男の子は、ダビデの父エッサイの父となる(17節)。
 ナオミは、大きな苦しみを経たが、異邦人の嫁によって回復を見、「その乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育て」(16節)るという恵みを与えられた。主なる神は、夫も子供も土地も失うという人生の危機からナオミを救うと共に、彼女の心を癒された。私達も人生の中で数多くの苦難や危機、悲しみを経験する。だが、神の民の人生はそこで終わることはない。主なる神は、私達に思いもよらない道を開き、そのことを大きな恵みへと変えて下さる。だから、苦難や危機に直面した時には、まず主なる神に立ち帰り、その御前にひれ伏そう。そして、主なる神に依り頼もう。主なる神は私達の心を癒し、喜びを回復させて下さる。
 また、ナオミとルツに希望をもたらしたのは、具体的にはボアズによる土地の買い戻しであった。ボアズはナオミの家がモアブへの移住以前にしていた生活を回復出来るよう代価を払った。ボアズの行為はイエス・キリストの贖いと重なる部分がある。イエス・キリストは人類を贖うためにこの世に来られた。そして、主なる神の義と愛を十字架で満たした(ローマの信徒への手紙3章22~24節、5章8節)。そのことによってご自身を信じる者が罪と死から解放され、新しい命を受ける恵みの道を開いた。
 私達は、「士師が世を治めていたころ」(1章1節)のように、主なる神から離れ、罪に縛られ、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行って」(士師記21章25節)いる時代を生きている。だからこそ、イエス・キリストの贖いを受けた神の民は、ボアズのように犠牲を払って隣人を助け、隣人に主なる神の光を照らすことを期待されている。

(2) ダビデの系図(18~22節)

 ルツ記の最後の章は、登場人物の幸いを伝えているだけでなく、ペレツからダビデまでの系図も記している。この系図は、ボアズを基点にしてそれ以前の人々を振り返っているというよりも(21節)、イスラエルの王となるダビデにこの後どのように到っているかを記録している(22節)。
 そして、この系図はイエス・キリストに繋がっていく。アブラハムダビデイエス・キリストの先祖であることは、聖書全体を通して明らかにされている。主なる神は、契約の通り、「アブラハムの子ダビデの子」(マタイによる福音書1章1節)であられるイエス・キリストを「ユダヤ人の王」(ルカによる福音書23章38節)とし、その「王国の王座をとこしえに堅く据え」(サムエル記下7章13節)られた。イエス・キリストの系図の中でボアズの名前が言及されていることからも(マタイによる福音書1章5節)、彼の買い戻しの行為を覚えるよう主なる神が私達に期待しておられることが分かる。
 イエス・キリストの系図は傷のないものではない。ペレツは、タマルが舅ユダとの関係を通して産んだ双子の息子のうちの一人である(18節、マタイによる福音書1章3節)。ボアズと結婚してオベドを産んだルツも(21節、マタイによる福音書1章5節)、本来主の会衆に加わることの出来ないモアブ人である(申命記23章3節)。聖書においてモアブ人は否定的に語られている。ロトとその娘の近親相姦によって生じ(創世記19章30~38節)、エジプトを脱出したイスラエルに敵対した(民数記22章2~6節)。また、イスラエルの民を偶像礼拝へと導いている(同25章1~2節)。
 にもかかわらず、ルツがナオミに「あなたの神はわたしの神」(1章16節)と言って、主なる神の「御翼のもとに逃れて来た」(2章12節)時、主なる神は彼女にイエス・キリストの系図に連なるという祝福を与えた。主なる神の恵みは、イスラエルだけでなく、異邦人にも等しく注がれている。主なる神の救いの御業におけるモアブの婦人ルツの献身、そして彼女の心からの信仰告白を忘れてはいけない。