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Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記3章1~13節

聖書の黙想と適用 民数記3章1~13節(新共同訳 旧約pp.213-214)

(1) レビ人の務め(1~10節)

 主なる神は幕屋の奉仕のためにレビ族を聖別された。更に、レビ族の中でも務めを区分し、定められた秩序に従って働くようにされた。アロンとその子らは「油を注がれて祭司職に任ぜられ」(3節)、他のレビ族は「臨在の幕屋にあるすべての祭具を守り、イスラエルの人々のために幕屋を守り、幕屋の仕事をする」(8節)ことによって、「アロンと共同体のために」(7節)仕えた。そして、祭司職はアロンとその子らによって代々世襲され、「ほかの者がその務めをしようとするならば死刑に処せられ」(10節)た。
 祭司には臨在の幕屋に入ることが出来るという特権が与えられていた。しかし、イスラエルの人々を代表して主なる神の御前に出る任務であったため、慎重に主なる神の指示に従わなければならなかった。アロンの息子のナダブとアビフは、聖別されて祭司に任命されたが、「規定に反した炭火を主の御前にささげ」たため、「死を招いた」(4節)。この出来事は主なる神の聖なるご性質と礼拝による贖罪の意味が罪人である人間の考えと行いによって損なわれてはならないということを示している。特権には重い責任が伴った。主なる神は私達の従順を何よりも望まれる。私達は主なる神に対する畏れをもって主なる神の指示通りに仕えなければならない。

(2) 主なる神のものであるレビ人(11~13節)

 イスラエルの民がエジプトを出る前に、主なる神は最後の災いとして「エジプトの国ですべての初子を打」(13節)たれた(出エジプト記12章29節)。その時、イスラエルの初子だけは「人間から家畜に至るまで」(13節)全て守られた。これはイスラエルに対する主なる神の特別な救いの恵みであった。
 その上で、主なる神はイスラエルの初子を「ことごとく聖別して」、ご自分のものとされた(13節)。それ以来、イスラエルの民の全てが主なる神のものであったが、レビ人を「イスラエルの人々のうちで初めに胎を開くすべての初子の身代わり」(12節)として聖別された。「レビ人はわたしのものである」(12節)と主なる神は言われる。死から命へと移された者は主なる神のものであるので、心からの従順をもって主なる神に仕えなければならない。