Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記3章40~51節

聖書の黙想と適用 民数記3章40~51節(新共同訳 旧約pp.215-216)

(1) 主なる神に献げられたレビ人(40~45節)

 主なる神は、エジプトで人の初子と家畜の初子を全て打つ災いを下された時、小羊の血を見てイスラエルの初子を生かされた。それ以来、「人間から家畜に至るまで」イスラエルの初子は全て主なる神のものとされた(13節)。主なる神は、そのことを示すために、「イスラエルの人々のすべての長子の代わりに」レビ人を、また「イスラエルの家畜の代わりに」レビ人の家畜を献げることを求められた(45節)。そして、主なる神のものとして献げられたレビ人は、「主である」(41節)神に仕えた。
 その上で、主なる神は、ご自分の所有を明確にされるため、イスラエルの「生後一か月以上のすべての長子を登録し、その名を数え」(40節)るよう、モーセに命じられた。レビ人を献げることは、イスラエル全体が主なる神のものであることを示すものであった。キリスト者イエス・キリストの贖いによって主なる神のものとされた。そして、キリスト者が主なる神のものであることは、この世の全てのものが主なる神のものであることを意味する。私達に対する所有権は主なる神にある。

(2) 贖い金の徴収(46~51節)

 イスラエルが主なる神のものであることを示すために、イスラエルの人々の長子の代わりにレビ人が主なる神に献げられた。しかし、人口調査の結果、生後1か月以上のレビ人の男子の総数は22000人(39節)、生後1か月以上の長子の総数は22273人で(43節)、長子の方がレビ人よりも273人多いことが分かった(46節)。
 主なる神がイスラエルをご自分のものとして下さった贖いの代金は、一寸の違いもなく、正確に支払われなければならなかった。そのため、主なる神は不足している分に対する「贖い金」を要求された。具体的には、聖所で贖い金として「一人当たり五シェケル」の銀を徴収するよう命じられた(47節)。このことによってイスラエルの全ての初子が主なる神に献げられたと認められた。とはいえ、1シェケルは約11.4gで、5シェケルは57gほどなので、イスラエルに対する主なる神の要求は決して無理難題ではなかった。このことは、命を贖う救いが人間の努力ではなく、完全に主なる神の恵みによることを示している。イエス・キリストは、私達を主なる神のものとするために、ご自分の命を贖い金とされた。私達はその代価によって神の子とされた。