読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記4章1~20節

聖書の黙想と適用 民数記4章1~20節(新共同訳 旧約pp.216-217)

(1) ケハトの氏族の務め(1~14節)

 ケハトの氏族は「宿営の移動に当たって」(5節)聖所と至聖所で用いられている聖具を運搬する任務を任された(5~15節)。その上で、主なる神は彼らが幕屋で奉仕する期間について「三十歳以上五十歳以下」(3節)と定められた。
 レビ人が「臨在の幕屋に入って務めに就き、作業をすることができる」年齢について、民数記8章24節では「二十五歳以上」、歴代誌上23章24節では「二十歳以上」とされている。ケハトの氏族の人々は、何年か経験を積んだ後、「臨在の幕屋と神聖なものにかかわる」(4節)ことが許されたと理解することが出来る。また、幕屋での奉仕に年齢の上限が設けられているのは、50歳を過ぎれば体力も気力も衰えてくるからであろう。
 主なる神は、体力・健康といった身体面と人格的・信仰的な成熟を考慮し、年齢を制限された。彼らが為し得る最善の奉仕を期待されたからである。主なる神から委ねられた務めは、いかなる仕事であっても尊いものである。キリスト者も、主なる神から或る務めを与えられた時、心を尽くし、力を尽くして取り組まなければならない。

(2) アロンとその子らの務め(15~20節)

 聖所と至聖所の祭具を運ぶ任務は栄光に満ちたものであったが、ケハトの氏族の人々にとっては命懸けの奉仕であった。祭司以外の人々が「聖なるものに触れ」たり、「かいま見」たら、その人は「死を招く」からである(15節、20節)。
 それ故、主なる神は、ケハトの氏族が「神聖なものに近づいたとき、死ぬことなく命を保つために」(19節)、「幕屋全体とその中のものすべて、聖所とその祭具」(16節)を細心の注意を払って管理するよう、モーセとアロンに命じられた(17~18節)。主なる神は、聖所と至聖所を設置し、また片付けること、その中の祭具や物品を運搬するために荷をまとめることを、アロンとその子らだけに許された。ケハトの氏族の人々は、聖所に入ったり、聖なるものに触れたりすることは出来なかった。アロンとその子らは、宿営の移動の際、必ず「聖所とそのすべての聖なる祭具」に覆いを被せ、人々に見えないようにしなければならなかった。それは主なる神の聖さを保つためであり、またケハトの氏族の人々の命を守るためであった。
 その上で、聖なるものを全て覆い終わった後、ケハトの氏族の人々が来て、それらを運搬した(15節)。アロンとその子らは、その「一人一人」に対し、「それぞれの仕事と荷物」を「割りふ」り、彼らが禁じられた行動をしないよう監督することを求められた(19節)。
 今日私達はイエス・キリストを通して聖所に直接進み出ることが出来るようになった(ルカによる福音書23章45節)。しかし、主なる神の聖さを侵してはならないことに変わりはない。主なる神が禁じられたことを軽々しく行うなら、死を免れない。主なる神は、私達一人一人に尊い務めを委ねて下さるが、それと共に制限も定められた。主なる神のご臨在が祝福となるためには、主なる神を畏れつつ、最善を尽くさなければならない。