Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記4章21~33節

聖書の黙想と適用 民数記4章21~33節(新共同訳 旧約pp.217-218)

(1) ゲルションの氏族とその務め(21~28節)

 ゲルションの氏族では、ケハトの氏族と同様に、「三十歳以上五十歳以下の者」が、臨在の幕屋で務めに就くことが出来た(23節)。彼らは「幕屋の幕、臨在の幕屋とその覆い、その上に掛けるじゅごんの覆い、臨在の幕屋の入り口の幕、庭の周りの幕、幕屋と祭壇の周りの庭の入り口の幕、綱、そのために用いられるすべての用具を運搬」(25~26節)する奉仕を命じられた。そして、そのために「二台の牛車と四頭の雄牛」(7章7節)を与えられた。
 ゲルションの氏族の人々は「祭司アロンの子イタマルの監督の下」(28節)で務めを果たした。「アロンとその子ら」は、彼らが行う「運搬や作業などのすべての仕事」について指示を与えた。彼らはその指示に従って「すべての運搬の任務」を行わなければならなかった(27節)。逆に言えば、イタマルをはじめ、祭司はゲルションの氏族の任務について――メラリの氏族の任務と共に――熟知していなければならなかった。主なる神に仕える者は、任務について十分に理解し、細心の注意を払わなければならない。些細に思われることであっても、軽く考えてはいけない。

(2) メラリの氏族とその務め(29~33節)

 メラリの氏族においても「三十歳以上五十歳以下の者」が「臨在の幕屋の作業に従事すること」が出来た(30節)。そして、「祭司アロンの子イタマルの監督の下」(33節)、「幕屋の壁板、横木、柱、台座、庭の周囲の柱とその台座、杭、綱、その他すべての祭具」(31~32節)を運搬する働きを担った。
 その際、主なる神はモーセに「あなたたちは、彼らが運搬すべき品を名指しで割り当てなさい」(32節)と命じられた。イタマルは、メラリの氏族の人々に具体的に指示を出し、運搬と作業を監督した。それは、彼らが何を運べばいいのか分からず右往左往したり、何か一つでも見落とすことがなく、正確かつ効率的に作業を進めるためであった。
 主なる神に対する奉仕は有機的に繋がっている。だから、一つ一つの要素が重要である。たとえ壁板一枚であっても、それがなければ、臨在の幕屋を完全に建てることは出来ない。同様に、私が任されている働きがあり、他の人が任されている働きがある。そのために、主なる神は私達一人一人の名を呼んで召して下さった。私達の価値は任されている働きの内容によって決まるのではない。任されていることを忠実に行う時、主なる神は「忠実な良い僕だ。よくやった」(マタイによる福音書25章21節、23節、ルカによる福音書19章17節)と私達をほめて下さる。どのような務めを担うにしても、主なる神のご栄光が現されることを願って、それを行おう。また、他の人の働きに心から敬意を抱き、その人に務めを命じられた主なる神にひれ伏す者でありたい。そこに秩序があり、平和がある。